1956年の日本の女性史 7~9月

1956年の日本の女性史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/12/17 00:32 UTC 版)

7~9月

  • 7月8日 参議院選挙、婦人5人当選、非改選を合わせ15人となる。全国区の投票率 女57.7%、男66.88%。
  • 7月10日 清瀬文部大臣男女共学は弊害があるので考慮すべき段階」と記者会見で発言。
  • 7月12日 全専売(現・全たばこ労働組合)京都支部、生理休暇手続の一方的変更に反対して超過勤務超・安全遵法闘争。
  • 7月16日 FW世界友の会マザークラブ結成、「日本のお母さんと世界のお母さんを結ぼう」。
  • 7月23日 簡易家事サービス職業補導所開設、新潟県で。
労働省婦人少年局の企画により、全国に先がけ新潟県に開設され、以後秋田・山形・長野・鹿児島にも設置。農村の中学校卒業者を対象に、家事使用人としての補導訓練を行うことが目的。
  • 8月1日 三鷹市立保育所設立、日教組婦人組合員の運動による。
  • 8月17日 日本母親大会出席者を警察が調査して問題化、水戸市で。
  • 8月22日 全日本婦人協議会、日ソ交渉問題で「日本の領土はひとにぎりでもソ連に渡すな」と署名運動。
  • 8月27-29日 第2回日本母親大会、約4,000名参加。
日本の母親運動をリードした共通のスローガン「生命を生み出す母親は、生命を育て、生命を守る権利をもっています」が出たのもこの大会であった。
  • 8月29日 初の婦人外交官山根敏子、帰国の途中飛行機事故で死去。
  • 9月15日-10月1日 国連婦人の地位委員会、第1回婦人ゼミナール開催、モスクワで。37ヵ国88人の婦人代表参加、日本から婦団連副会長櫛田ふき参加。
  • 9月- 厚生省、台所用洗剤で野菜や食器類を洗浄するなど、食品衛生の向上を全国都道府県宛に通達。
  • 9月 内閣官房、家族制度復活の希望者が多いという世論調査結果を発表。





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