第505重戦車大隊 創設

第505重戦車大隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/19 14:45 UTC 版)

創設

1943年1月末から2月18日の間に、第3軍管区の第5・第10戦車補充大隊の兵員からファリング・ボシュテル演習場にて編成。初代大隊長はハンネス・キュンメル少佐。同年7月のツィタデレ作戦第9軍隷下として参加後、スモレンスクへ移動。ティーガーI20両とIII号戦車25両で編成された最後の部隊となり、1943年4月に編成を完了した。

戦歴

第1中隊と第2中隊は、1943年5月に東部戦線中部のオリョール地区に移動した。1943年6月10日ティーガーI 45両となり、III号戦車を装備から外した。クルスク戦に備えて演習を行った。2個中隊31両のティーガーIで7月5日、クルスク戦に突入した。第3中隊が本国から東部戦線に向け出発し、7月8日に到着した。当初稼働可能な予備の戦車は26両であったが、対戦車地雷によりわずか2日間で6両に激減[1]。一方で赤軍戦車111両の撃破を報告した[2]

中央軍集団の再編を経て、1944年6月下旬~7月上旬、第5装甲師団隷下になる。同年、ソ連軍夏季攻勢による後退戦、バグラチオンの初期段階での激しい防衛戦で[3]、15両を消耗した。1944年7月にティーガーII装備のため一旦本国へ後退、受領後リトアニア、東プロイセンへ派遣され、第2425装甲師団ドイツ語版を支援。

1944年7月にドイツ本国へ引きあげるまで、中央軍集団と共に、ポーランド、リトアニア、東プロイセンで押しよせるソビエト軍を相手に戦い抜く。1944年9月に45両のティーガーIIを装備し、ポーランドに送られる。部隊は、とりわけワルシャワやナレフ川英語版流域で戦い、1944年10月21日にネーメルスドルフ英語版の再征服に関与。1945年2月には包囲された東プロイセンケーニヒスベルク (現ロシア領カリーニングラード)の解囲攻撃に投入されるが、攻撃は失敗し1945年4月半ばに大隊の残部はクルシュー砂州にてソ連軍に降伏し、メーメル戦区にて壊滅した。

部隊マークとして槍を持ち突撃する騎士が、いくつかの戦車の砲塔に描かれた。

戦力の推移[4] 1944年10月1日 11月1日 12月1日 1945年1月15日 2月5日 3月15日
主力戦車 43 39 29 44 30 2
使用可能車 32 36 11 17 0 0
修理中 10 3 18 27 30 2
喪失 (期間中) 2 6 10 4 13 30

指揮官

  • 1943年2月 - 8月:ベルンハルト・ソーヴァン少佐
  • 1943年8月 - 9月:フォン・キャロウィッツ大尉
  • 1943年9月 - 1944年11月:ヴェルナー・フライヘル・フォン・ベシュヴィッツ大尉
  • 1944年11月 - 1945年4月:センフット・フォン・ピルサッチ少佐

  1. ^ Christopher Wilbeck: Sledgehammers. Aberjona Press 2004, ISBN 0-9717650-2-2, S. 73 (engl.)
  2. ^ David Glantz: The Battle of Kursk 2004. University of Kansas Press, ISBN 978-0-7006-1335-9, S. 17
  3. ^ von Plato: Geschichte der 5. Panzer-Division, S. 343–348
  4. ^ Thomas L. Jentz: Tiger I und II. Kampf und Taktik., Podzun Pallas Verlag, ISBN 3-7909-0691-3, S. 127


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