浦添朝満
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/23 07:38 UTC 版)
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本来は父王尚真の世子であったが、二度にわたり廃嫡され、結局王位を継ぐことはなく、尚真王が亡くなると弟の尚清が践祚し、第二尚氏王統4代王となった。
この廃嫡の理由については、最初は尚真の母:おぎやかの思惑による(後述)もの、二度目は尚真夫人である思戸金按司(華后)の計略によりそうなったとされる。いずれにしても王位継承を巡っての骨肉の争いがあり、朝満はその戦いに敗れたということであろう。
なお、死後は浦添ようどれに一旦葬られるが、のちに弟の尚清王によって王家の陵墓、玉陵へ移葬された。
- 1 浦添朝満とは
- 2 浦添朝満の概要
- 3 系譜
- 4 経歴(月日は旧暦)
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