柴田政人 エピソード

柴田政人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 14:47 UTC 版)

エピソード

柴田政人と日本ダービー

柴田は馬事公苑の研修生時代、同期生と共にシンザンが優勝したダービーを現地観戦して以来、その華やかさに強く惹かれ、ダービーに騎乗することを目標のひとつとした[24]。その後、デビュー3年目の1969年にダンデイボーイでダービーに初騎乗(23着)。しかし以後はアローエクスプレスの乗り替わり、皐月賞を制したミホシンザンの骨折休養などがあり、ほとんどの機会で有力馬に騎乗することができず、1993年まで18回の騎乗で 1988年コクサイトリプル、1991年イイデセゾンの3着が最高という成績であった。同年の頃より柴田は「ダービーを勝ちたい」と公言するようになり[13]、柴田のダービー優勝はファンの関心事ともなっていった。

そして1993年のダービーにおいて、柴田はウイニングチケットに騎乗して初めてダービー1番人気の支持を受ける。ウイニングチケットは前走の皐月賞で繰り上がりの4着(5位入線)という成績に終わっており、1番人気の内容には「柴田に勝って欲しい」というファンからの応援の意味で投じられた馬券が相当含まれていたともされる[13]。レースではこれに応えて優勝。通算19回目の騎乗で「念願のダービー制覇」を果たし、ダービージョッキーの仲間入りとなった。直線では早めにスパートしたことと、ビワハヤヒデナリタタイシンが後方から迫っていたことで「我慢してくれ、頑張れ」と叫び続けたといい[25]、「あれほど大きな声を馬にかけたことはなかったです」と回顧している[26]。ウイニングチケットはダービー以降総じて不振に終わったことから、「柴田政人にダービーを獲らせるために生まれてきた」とも言われた[27]

ダービーを勝ったら引退

1988年の日本ダービーの際、柴田は競走前日に渋谷で行われたダービーフェスティバルに出席した。この席上で意気込みを尋ねられた際、「コクサイトリプルでダービーを勝てたら、もう騎手をやめてもいいというくらいの気持ちで臨みます」と応じた[28]。するとこの発言が曲解され、翌日のスポーツ紙には「柴田政人、ダービー制覇したら騎手引退」との見出しが掲げられ[28]、以後ウイニングチケットまで長らく「柴田はダービーを勝ったら引退する」との誤解が広まっていた。実際にはダービー以後も騎手活動を続けたが、翌1994年の落馬事故により、結果としてダービー制覇から2年を経ない内に引退を余儀なくされた。

岡部幸雄・福永洋一との関係

岡部幸雄

岡部幸雄とは毎年のようにリーディングを競い合い、しばしば互いが比較の対象となった。「静の岡部、動の柴田」と評され[29]、騎乗については岡部は「華麗・魔術」、柴田は「剛腕・剛毅」とも対比された[30]。岡部自身も自著の中で「私の場合、ライバルとして一番に挙げられるのは、やはり同期の柴田政人だろう。『宿敵』というよりは、『好敵手』だったといえる関係である」と記している[31]。また、岡部は1984年に厩舎所属からフリーに転身し、騎乗馬確保の折衝のため、いち早くエージェント(代理人)を採用するなど騎乗馬の選択に一切の妥協を挿まなかった。作家の後藤正治は、こうした岡部の考え方を「アメリカ的合理主義」、柴田を「日本的一門主義」と対比している[32]。岡部は一度柴田にもフリーになることを勧めているが、柴田は「岡部の気持ちもやり方も分かる」とした上でこれを退けており、また岡部も柴田が断ることを予期した上で訊いたという[32]

私的には親しい友人の1人であり、自身の引退に際しては「生き方は違っても、同じことを目指していたという意味で、こんな力強い存在はなかった。周囲が言うような、ライバル意識なんか俺たちにはないんだよ。岡部がいつまでもレースに出て勝つことが、俺や、同期たちの生きる喜びに繋がっている」と語っている[33]。2005年の岡部の引退に際してはセレモニーに出席し、伊藤正徳と共に同期生代表として花束を贈呈した[34]。2014年には岡部と共に調教師・騎手顕彰者制度の騎手部門で同時選出された[16]

福永洋一

「天才」福永洋一とは養成所以来の無二の親友であり、忌憚なく騎乗論を交換する唯一の相手であった[35]。所属は東西に分かれていたが、夏の北海道開催で一緒になると毎年同室で過ごし、「朝起きたら、寝るまで一緒」であったという[36]。1979年に洋一が落馬事故で脳挫傷を負った際には、翌日始発の飛行機で関西へ飛び、同僚として唯一集中治療室に入って容態を見舞った[37]。柴田は福永を「同じ騎手として、相手の良いものは良いんだと認め合える関係でした」と述懐している[38]

1996年に洋一の息子の祐一が騎手デビューした際には、陰ながらその騎乗馬確保に努めたとされる。祐一のGI競走初勝利となった桜花賞優勝馬・プリモディーネの馬主は柴田と親しい伊達秀和であり、関西に馬を預けた例は少なく、柴田が祐一を起用するよう依頼したともされる[39]。また、祐一は関西の北橋修二厩舎に所属したが、デビュー以前には「関東に行きたい」と口にしており、幼少期から知っている柴田の厩舎に所属するとの予測もあった[40]


注釈

  1. ^ 騎手として中央・地方を通じての通算最多勝利記録保持者(7151勝)。
  2. ^ この時、父親から「一人前にならなかったら絶対に家の敷居は跨がせない」と釘を刺され、以後柴田は8年近く実家に帰らなかった[2]
  3. ^ 2019年4月14日の「BSイレブン競馬中継」にゲスト出演した柴田は、海外騎乗の度によく「ダービー勝ってるのか」と聞かれる、競馬イコールダービーだと世界のホースマンが思っている、(海外に)行く度にダービー勝ってますかと言われる、という趣旨のコメントをしており、それらを踏まえて自然と「世界のホースマンに」という言葉になったと述べている。
  4. ^ ステイヤーズステークス5勝、ダイヤモンドステークス5勝、菊花賞1勝、天皇賞(春)1勝、天皇賞(秋)2勝。

出典

  1. ^ 大寺(1994)p.23
  2. ^ a b 木村(1994)pp.170-171
  3. ^ 大寺(1994)p.33
  4. ^ 大寺(1996)p.56
  5. ^ 木村(1997)p.210
  6. ^ a b 木村(1997)p.211
  7. ^ 大寺(1996)pp.73-74
  8. ^ 大寺(1996)p.104
  9. ^ 木村(1997)pp.217-219
  10. ^ 小島(1993)p.73
  11. ^ 『優駿』1991年10月号
  12. ^ 大寺(1996)p.94
  13. ^ a b c 『優駿』1999年6月号、p.114
  14. ^ 大寺(1996)p.18
  15. ^ 木村(1998)pp.150-151
  16. ^ a b 『優駿』2014年6月号、p.3
  17. ^ 『Sports Graphic Number PLUS』p.79
  18. ^ 小島(1993)p.75
  19. ^ 大寺(1996)pp.75-76
  20. ^ 木村(1994)p.167
  21. ^ 木村(1998)p.149
  22. ^ 木村(1998)p.147
  23. ^ 木村(1998)pp.147-148
  24. ^ 『優駿』2002年6月号、p.28
  25. ^ 木村(1994)p.245
  26. ^ 『優駿』2014年6月号、pp.50-51
  27. ^ 『忘れられない名馬100』p.23
  28. ^ a b 大寺(1994)p.188
  29. ^ 大寺(1996)p.194
  30. ^ 木村(1994)p.160
  31. ^ 岡部(2006)p.161
  32. ^ a b 『競馬騎手読本』p.31
  33. ^ 木村(1994)p.249
  34. ^ 『優駿』2005年5月号、p.55
  35. ^ 『Sports Graphic Number ベスト・セレクション(3)』pp.58-60
  36. ^ 『優駿』1991年10月号 p.83
  37. ^ 『Sports Graphic Number ベスト・セレクション(3)』p.60
  38. ^ 『優駿』1991年10月号、p.84
  39. ^ 『Sports Graphic Number PLUS』p.75
  40. ^ 『優駿』2002年9月号、p.69
  41. ^ 藤田伸二村本善之武豊的場均河内洋柴田善臣に次ぐ






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「柴田政人」の関連用語

柴田政人のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



柴田政人のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの柴田政人 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS