柳生の徳政碑文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/01 14:35 UTC 版)
疑問点
関西学院大学の永島福太郎は、「ヲイメ」という言葉は16世紀末の天正期以降の言葉ではないかとして、碑文の時代鑑定に疑問を呈している[6]。また、「四箇郷」をなぜ「シカンカウ」と表記したのかという疑問も存在するが、この点に関しては一橋大学の亀井孝が、「ン」は当時の発音における「ガ音」に先行する軽鼻音であるとの見解を示している[7]。
脚注
参考文献
- 永原慶二『日本の歴史10 下克上の時代(改版)』中公文庫、2005。ISBN 978-4122044951
- 柳生観光協会編『新版・柳生の里』柳生観光協会刊、2000。
外部リンク
座標: 北緯34度43分28.8秒 東経135度57分10.4秒 / 北緯34.724667度 東経135.952889度
- ^ 杉田定一「いろは柳生物語」、柳生観光協会編『新版・柳生の里』、柳生観光協会刊、128 - 131頁、2000年
- ^ 柳生観光協会編『新版・柳生の里』、柳生観光協会刊、22頁、2000年
- ^ 永原慶二『日本の歴史10 下克上の時代』、中公文庫、75 - 76頁、1974
- ^ 杉田定一「いろは柳生物語」、柳生観光協会編『新版・柳生の里』、柳生観光協会刊、128 - 131頁、2000年。
- ^ 永原慶二『日本の歴史10 下克上の時代』中公文庫、78ページ、1974
- ^ 永島福太郎「正長土一揆の経過」、日本歴史学会編「日本歴史」202号、吉川弘文館、1965
- ^ 永原慶二『日本の歴史10 下克上の時代』、中公文庫、77ページ、1974
柳生の徳政碑文と同じ種類の言葉
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