悪魔の鎮魂歌 (アルバム)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/12 05:01 UTC 版)
その他
- 発売最初の週で約46,000枚の販売があり、Billboard 200の最高位は31位だった。
- 上記のとおりスレイヤーとしてダウンチューニングを導入したり、「Stain Of Mind」等の楽曲でグルーヴ路線の楽曲を収録するなど実験的な意味合いも強いアルバムだったため、ファンや評論家から賛否両論があるアルバムとなっている。
- 1996年にドラムのポール・ボスタフが「自分のソロプロジェクトに専念したい」という理由から脱退したが、そのプロジェクトが程無く頓挫してしまった為(そのプロジェクト自体はスレイヤーとは違うプログレッシブロック的なもので、本人曰く「自分が本当にやってみたいと思えるものではなかった」との事)、すぐにスレイヤーに戻ってきてこのアルバムを制作した。ちなみにボスタフにとってスレイヤー時代で最も気に入っているアルバムはこのアルバムとの事。
- アルバム発売後に「Diabolus in Musica tour」をセパルトゥラ, システム・オブ・ア・ダウン, フィア・ファクトリー, メシュガー, Kilgore, Clutch, Sick of It Allなどと共に1998年から1999年に行った。
- 敬虔なクリスチャンであるトム・アラヤがアルバム製作中に収録曲の「In the Name of God」の歌詞の内容が過激すぎるとジェフ・ハンネマンに相談した事があった。作詞をしたケリー・キングが後にその話を聞き「俺たちはスレイヤーだぞ!すでに最初のアルバムで"アンチクライスト"と歌ってるじゃないか!トムが同意しようとしまいと俺が書いた!これもスレイヤーの一部だ!」などとインタビューで答えた事がある。
- 日本国内でリリースされた初回限定版のCDケースは赤の透明なプラケースを用いた「血の色ケース」となっていた。メンバーであるトム・アラヤは「この日本版のケースは気に入っている。素晴らしいね」と「BURRN!」誌のインタビューで語っていた。
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