小久保藩 領地

小久保藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/09 16:24 UTC 版)

領地

廃藩時点の領地

旧高旧領取調帳」には下記の8,203石分のみ記載されている。

なお、いずれも相給が存在するため、村数の合計は一致しない。

陣屋と陣屋町

天羽郡小久保村は鎌倉時代に創建された真福寺(真言宗智山派。中本寺の寺格を有した[12])の門前町を形成したという歴史を持つ[9]。村高1400石(旧高旧領取調帳)、家数300(寛政5年(1793年)の上総国村高帳)[13]という大きな村であった。

藩庁・県知事邸・役所や藩校などからなる小久保陣屋は、真福寺から見て小久保川の対岸(北岸)[注釈 6]弁天山古墳の南西麓に造営された[5]。現在の富津市中央公民館周辺であり[5]、現地には「小久保藩陣屋跡」と記された記念碑が建つ[5]。小久保藩士は120戸で、家族や小者を含めて392人であったといい[15]、陣屋の周辺は士族屋敷地で占められていた[5]

小久保藩の存続期間は4年間であり、小久保も陣屋町として大きく発展したわけではなかった[16]。明治の町村制施行に伴い、小久保は大貫村に含まれることとなった。

明治6年(1873年)11月15日、盈進館跡地に小久保小学校が設立されている[9]。小久保小学校は現在の富津市立大貫小学校の前身である(校地は移転)。


注釈

  1. ^ 幕府領や旗本領が多く、新政府直轄領として上総安房知県事による接収が進められていた[2][3]
  2. ^ 『房総における近世陣屋』では、意尊が明治元年(1868年)中に没したと誤って認識しており、明治2年(1869年)に陣屋建設を着手した藩知事を意斉としている[5]
  3. ^ 『千葉県君津郡誌』によれば、意斉が養子となったのは明治2年(1869年)12月である[6]
  4. ^ 『日本教育史資料』では明治2年(1869年)創立とあり[10]、『房総における近世陣屋』も明治2年創設を採っている[5]
  5. ^ 『日本教育史資料』では英語教育についての記載はない[10]。創設当時(上述の通り『日本教育史資料』では明治2年創立とする)の藩主(あるいは知藩事)田沼意尊が儒学を尊崇したためにその方面を拡充したとしており、教科書は漢学・国学のものが挙げられている[10]
  6. ^ 当地に祀られた弁天社に因み、「弁天」という小字名がある[5]。『千葉県君津郡誌』によれば「粟畑毛」という小字であったという[14]

出典

  1. ^ a b 川名登. “小久保藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2021年9月21日閲覧。
  2. ^ a b 『千葉県君津郡誌 上巻』, pp. 819–820.
  3. ^ a b 『千葉県君津郡誌 下巻』, p. 1221.
  4. ^ 『千葉県君津郡誌 上巻』, p. 820.
  5. ^ a b c d e f g 『房総における近世陣屋』, p. 76.
  6. ^ a b c d e f 『千葉県君津郡誌 下巻』, p. 415.
  7. ^ 田沼意尊”. 朝日日本歴史人物事典. 2021年9月21日閲覧。
  8. ^ 田沼意斉”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2021年9月21日閲覧。
  9. ^ a b c d 富津市歴史年表”. 富津市の歴史(年表). 富津市生涯学習課. 2022年10月19日閲覧。
  10. ^ a b c d 『日本教育史資料 壱』, p. 343.
  11. ^ 市宝探訪79 小久保陣屋”. 富津市 (2012年12月). 2021年9月21日閲覧。p.7
  12. ^ 『千葉県君津郡誌 下巻』, p. 204.
  13. ^ 小久保村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年10月19日閲覧。
  14. ^ 『千葉県君津郡誌 下巻』, p. 551.
  15. ^ 相良藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年10月19日閲覧。
  16. ^ 中島義一 1965, p. 18.


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