宮内村 (愛媛県)
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産業
農産物では、米、麦、甘藷のほか、かんきつ類、櫨など。藩政期には櫨の栽培が盛んに行われ、昭和初期には養蚕も盛んであった。太平洋戦争前から既に夏柑栽培がさかんであった。今日のウンシュウミカンが盛んになったのは保内町になってからの昭和40年代半ばのことであり、のち伊予柑の栽培が盛んになり、水田は次第に果樹園に姿を変えていった。
南予地方の海岸に近い村では珍しく造林に励み、今日の財産区に受け継がれている。造林を強く推し進めたのは1898年(明治31年)に村長に就いた佐々木秀治郎である[12]。
交通
宮内川に沿った道が今日の国道378号とほぼ重なる(除くトンネル部分)。
鉄道は通っていなかった。今日の予讃線のルートについて、隣村の日土村経由の構想もかつてはあった[13]。
出身者
名所
- 三島神社
- 平家谷
脚注
参考文献
- 保内町誌編集委員会 編 『保内町誌』保内町、1973年8月20日 。
関連項目
- ^ 保内町誌編集委員会 1973, p. 549.
- ^ 保内町誌編集委員会 1973, p. 55.
- ^ 保内町誌編集委員会 1973, p. 410.
- ^ 保内町誌編集委員会 1973, p. 109.
- ^ 保内町誌編集委員会 1973, p. 270.
- ^ 保内町誌編集委員会 1973, p. 186.
- ^ 保内町誌編集委員会 1973, p. 271.
- ^ 保内町誌編集委員会 1973, p. 398.
- ^ 保内町誌編集委員会 1973, p. 449.
- ^ 保内町誌編集委員会 1973, p. 145.
- ^ 保内町誌編集委員会 1973, p. 105.
- ^ 保内町誌編集委員会 1973, p. 634.
- ^ 保内町誌編集委員会 1973, p. 375.
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