宍戸広隆 宍戸広隆の概要

宍戸広隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/07 04:23 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

もともとは安芸熊谷氏の生まれで、父は熊谷就実、母は小倉要盛の娘。叔父(就実の実弟)である宍戸就延の娘を正室に迎える形でその婿養子となる。また、実家を継いだ実弟・熊谷元貞(帯刀)の次男・宍戸広周を養子とした。通称は彦四郎、河内、美濃。

生涯

貞享3年(1686年)、長州藩士熊谷就実の長男として生まれる。藩主毛利吉広より偏諱の授与を受け広隆と名乗る。

享保7年(1722年)、叔父宍戸就延の死去により、その家督を相続して三丘領主、長州藩一門家老となり、藩主毛利吉元宗広に仕えた。享保8年(1723年)、藩主吉元の娘皆姫の、薩摩藩島津継豊への輿入れの際に、御輿役を務める。

元文元年(1736年)11月5日死去。享年51。家督は甥で養子の宍戸広周が相続した。

参考文献

  • 石川卓美著「防長歴史用語辞典」



「宍戸広隆」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宍戸広隆」の関連用語

宍戸広隆のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宍戸広隆のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宍戸広隆 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS