多功房朝 多功房朝の概要

多功房朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 07:05 UTC 版)

 
多功房朝
時代 戦国時代安土桃山時代
生誕 文亀3年(1503年
死没 天正17年10月5日1589年11月12日[1]
墓所 見性寺
官位 石見守
氏族 多功氏
父母 父:多功長朝
多功秀朝多功綱継
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多功 房朝 / 多功 房興(たこう ふさとも / たこう ふさおき)とは、戦国時代の武将。下野国大名宇都宮氏の家臣。宇都宮氏庶流の多功氏多功城城主。父は多功長朝。子に多功秀朝多功綱継。石見守。闇礫軒。

宇都宮氏の重臣で、父・多功長朝同様、多くの合戦で活躍し、宇都宮氏の勝利を貢献した猛将である。天文18年(1549年)の喜連川五月女坂の戦いに父とともに出陣し、活躍した。

房朝は父が没した後は、後北条氏との合戦で活躍し、元亀3年(1572年)1月に多功城で後北条氏の2000の軍勢と戦い、撃退している。

さらには同年12月に後北条氏が再び多功城に攻め込んだが、佐竹氏の援軍とともにこれを退けた。後北条氏の下野国侵攻を何度も食い止めた。

脚注

  1. ^ 『栃木県史 史料編 中世 4』(栃木県、1979年)p.497



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