内田俊郎
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弟子筋
上記のように、彼はその弟子を育てる際にも方法論等で制約を多く設けたが、その弟子には非常に多彩な才能が生まれ、それぞれに日本の個体群生態学を推し進める力になった。
以下のような名が挙げられる。
なお、内田が退官した後は巌(1981年8月7日旅先の北海道知床半島宇登呂にて51歳で逝去)、その後は久野が継いだ。
参考文献
- 大串龍一、『日本の生態学 今西錦司とその周辺』(1992)、東海大学出版会
- 桐谷圭治、「故 内田俊郎先生を偲ぶ」(2006)。日本応用動物昆虫学会誌.50(2),196-197
- 嶋田正和「内田俊郎先生の思い出と研究について」(2006)、日本生態学会誌56:103-105
- 内田俊郎『動物の人口論』(1972)、日本放送出版協会(NHKブックス)
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