佐藤洋二郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/22 02:00 UTC 版)
経歴
福岡県遠賀郡生まれ。少年時代を島根県大田市で過ごす[1]。1974年中央大学経済学部卒業。大学を出て、会計士になろうと簿記学校に通っていたが、小説を書きたいという思いから熱が入らなかった。25歳の時、当時、同居していた弟妹が慶應大学に通っていて、彼らが読んでいた『三田文學』に新人の投稿があるのを知って、はじめての小説「湿地」を書いた。それを投稿すると一年後に掲載され、作家になろうと決心する。
以後、十年以上没原稿が続く(エッセイ集『人生の風景』『沈黙の神々I・II』などに収録)。その頃、立松和平と知り合い、中上健次は毎月、北方謙三は二か月に一度、持ち込んでいる。おれは三か月。きみはもっと少ないからデビューが遅いんだ、それにおれたちには妻子がいるからなと言われた。心構えが違うと痛感させられた。また団塊世代の最終ランナーだともからかわれたが、たんにデビューが遅かっただけで、立松和平の頑張りは勉強になった。その後、『河口へ』(集英社)や『夏至祭』(講談社)で注目され、書く場が広がった。小説は人間の生きる哀しみと孤独をテーマに、「本能」や「業」ということを強く意識して書いている。また自分が生まれ育った九州や山陰、及び東京・千葉などを文学磁場としている。人格は風土がつくると考えているからだ。『神名火』『夏至祭』『河口へ』など、デビュー当時は荒々しい筆致でよく骨太な作家と取り上げられた。
1994年から関東学院や青山短期大学などで非常勤講師を務めたのち、1998年から日本大学芸術学部で教員をしていた。2020年に退職。こどもの頃から知らない土地を歩くのが好きで、放浪癖があり、思想的背景はないが、全国の神社、離島巡り、居酒屋探訪を趣味としている。神社は数千社、離島は100島以上歩き、『沈黙の神々I・II』(松柏社)、『島の文学を歩く』(書肆侃侃房)など新聞や雑誌に掲載されたものをまとめたものがある。とくに神社は正史と違う稗史が見えておもしろい。また「一遍上人絵伝」の中の60数か所すべての土地を巡ったり、親鸞の足跡を訪ねて全国をまわるなどした。
小説に土地と恋愛をテーマにした『神名火』(小学館文庫)『未完成の友情』『恋人』(講談社)、短編集に『忍土』『坂物語』『東京 』(講談社)『ミセス順』(文藝春秋)『東京ブリッヂ』(ジョルダンブックス)、長編に『グッバイ マイラブ』(東京新聞社)『夏の響き』(集英社)『前へ、進め』(講談社)、そのほかの作品集に『妻籠め』(小学館)『佐藤洋二郎小説選集1・2』(論創社)などがある。 現在、日本文藝家協会常務理事・日本近代文学館常務理事・舟橋聖一文学賞及び青年文学賞選考委員・日大文芸コンクール選考委員・漂流紀行文学賞審査員・「季刊文科」編集委員などを歴任。
受賞
- 1995年(平成7年): 『夏至祭』で第17回野間文芸新人賞を受賞
- 2000年(平成12年): 『岬の蛍』で第49回芸術選奨新人賞を受賞
- 2001年(平成13年): 『イギリス山』で第5回木山捷平文学賞を受賞
- ^ 古代出雲を掘り起こし、島根の誇りに シマネスク 2019年12月16日閲覧。
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