ベリーダンス ベリーダンスとポップカルチャー

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ベリーダンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 07:23 UTC 版)

ベリーダンスとポップカルチャー

「扇情的な動き」がダンスに相応しいとは考えないプロのダンサーは、「ベリーダンサー」と称されるダンサーを含め、ミュージック・ビデオに憤慨する。そしてしばしば、それらが技術に乏しく、その動作が過剰に性的であると考える。プロのベリーダンサーは大抵、こうしたものを「ベリーダンスにインスピレーションを受けたもの」と呼ぶ。

R&Bシンガーのアリーヤは自らの象徴的な動作として、「ベリーロール」と称するベリーダンスを用いており、彼女の多くのミュージック・ビデオの特色となっている。最近では、ベリーダンスとラテンアメリカやモダン・ダンスのスタイルを組み合わせて踊るシャキーラによって、ベリーダンスは広く知られるようになった。彼女の民族的素地の一部であるレバノン系の血が、彼女のベリーダンス・スタイルに強く影響している。他にもビヨンセリアーナネリー・ファータドジェシカ・シンプソンなどのシンガーたちも自らのミュージック・ビデオにベリーダンスの要素を取り入れている。

健康とベリーダンス

ベリーダンスのもたらす恩恵は精神にも健康にも存在する。ダンスは心肺能力によい働きをもたらし、身体の柔軟性と強靱さを増強させ、胴体や「コア・マッスル(体幹)」を引き締めるが、脚の筋力形成にもよい影響をもたらす。多くのベリーダンス・スタイルは筋肉の「孤立した動き」を強調するため、ダンスを学ぶことで様々な筋肉や独立した筋肉系統の動かし方を習得出来る。ヴェールを使ったダンスは腕や肩、他の上半身の筋肉を鍛えることに繋がり、ジルの演奏は筋力強化と指一本一本をバラバラに動かす事にも繋がる。ベリーダンスは全ての年齢・体型に適したダンスであり、参加する人に応じて肉体的な負荷を選択出来る。

ルーティンの運動を始めるときもそうだが、ベリーダンスのレジュメを始める前には、個人的に医師と相談し、ベリーダンスのインストラクターと自分がこなせる難易度について話をしておくと良い(もちろん、普段から活動的な人より座りっぱなしな生活を送っている人の方が危険である)。多くのベリーダンサーが、その感覚の向上や自らの身体に対するイメージ・自己評価の向上、そして規則正しいルーティーンによってもたらされる大抵は前向きな見通しを、練習を楽しくこなすことによって得ているのである。

また他にも、ベリーダンスの運動は腰周りの筋肉を力強く調和させ、女性はそれを通じて自らの筋肉の働きをよりよく理解する。ベリーダンスの練習は女性の出産に恩恵をもたらしたのだ、と。ダンスに使われるお尻の円運動は出産による疲労感を幾分か和らげるかもしれない。

  • 痩身

ベリーダンスは女性の肉体の「丸さ」「ふくよかさ」を前面に押し出したスタイルを採り、痩身であることを良しとするダイエット嗜好とは対照的である。芸術的な側面がある一方で、ベリーダンスは健康促進プログラムの一環としても採用されている。循環器系統の完全なトレーニング効果と腹筋の強化をもたらす事が知られて以来、痩せたい男女の間でベリーダンスは急速に広まっている。60分間みっちりと練習をこなすことで、330キロカロリー分のエネルギーが消費されるだろう。その一方、本場のベリーダンサーにはふくよかな体型の人が多く、ダイエットに効くかどうかは疑問である。

男性のベリーダンス

トルコ・イスタンブールの男性ベリーダンサー

ベリーダンスの世界において、多くの人は男性がこの芸術様式に占める場所などなく、歴史的に見ても女性のダンスであるという認識である。ベリーダンスを女性の力を表現するものとして捉える人々や、ダンスをプロフェッショナルな女性の仕事として捉える人々で形成されるコミュニティから時折巻き起こる反論にも拘わらず、世界の男性ダンサーの多くはその受容に力を尽くしている。モロッコのダンサー(カロリーナ・ヴァルガ=ディニク)やタリク・スルタン、ジャスミン・ジャハルと言ったダンサーたちがその証拠を大量に示している。

トルコに存在する細密画は「絵の証拠」であり、オスマン帝国の成立中にはキョチェク (Köçek) と呼ばれる若い男や少年のダンサーたちが公演していた様子が描かれている。彼らは大変良く知られた存在であり、実際に帝国のスルタンが女性ダンサーの一座に加えて男性ダンサーの一座を雇っている(メティン・アンド著:A pictorial history of Turkish Dance)。彼らは広がるようなフラムボヤント・スカートに身を包んで踊りを披露したため、女装しているものと長らく憶測されてきた。しかしながら女性ダンサーと比較しても、この衣装は(女装が目的ではなく)織物の渦巻き文様によってドラマティックな効果を引き出すために着用されているにすぎない、と見てとれる。女性ダンサーはこの時特別な衣装を着てはいないが、全ての女性が「ハーレム・パンツ」とロングスカートからなる服装に、ベルトかショールで風になびくローブを腰の辺りで留めてぴったりとしたベストを覆わせた、普段通りのドレスを着ている。それにもかかわらず、このうちの何人かの男性ダンサーは女装をしているように見える。ダンサーは音楽家や役者と同じように、それほど単純には捉えられないことが理由に挙げられる。シェイクスピアの時代と同じように、女性が公共の場で役者を演じることが許されなかった時代では全てのドラマティックな役柄を男性が演じていた。

当時最高と謳われたダンサー一座が、そう言った慣習をしばしば破ろうと奮闘した事は有名な話である。そのうねりは1830年代の終わり頃までそのようなパフォーマンスを禁じられてきた当然の帰結として、しばしば巻き起こった。結果として一座は自らの名を上げたが、オスマン帝国は斜陽を迎え、それと共に押し進められた近代化と西欧趣味の摂取が、他の帝国やエジプトなどと同じようにイスタンブールの彼らのパフォーマンスの衰退を導いていった。その波は、「観光客の希望」のため…と言う大義名分の下、彼らが本来占めていた場所を女性ダンサーに取って代わられる事態を押し進めていった。コチェック・ダンサーはトルコの田園地帯や、特にカスタマンズ地方でまだ見ることが出来る。彼らはテレビのバラエティ・ショーやDVDに出演することでトルコ中にその存在をアピールし始めている。

アラビア地域でラクス・シャルキーと呼ばれるダンス様式の、現在の「プロフェッショナル・バージョン」は1930年代にエジプトで生み出された。女性的で優雅な美しさとグラマーさの理想的な形式を表現するために、細心の注意が払われた形式となっている。男性ダンサーもまた、ラクス・シャルキーの発展からはやや水をあけられたようなシーンに在りつつも踊り続けている。振り付け師として、ダンス教師として高い名声を得ているダンサーとしてはイブラヒム・アーケフ(有名なダンサー、ナーイマ・アーケフの従兄弟に当たる)やマハムッド・レーダ(エジプトで有名なレーダ劇場のダンサー一座の創設者)などがいる。

男性ベリーダンサーにおけるダンス形式の現在の流行は、イブラヒム・ファラ(ベンシルバニア生まれのレバノン系アメリカ人)、バート・バラディン、ジョン・コンプトンや他何人かのダンサーやダンス教師によって1960年代から1970年代に掛けてのアメリカで始まったものである。今日、男性ベリーダンサーはアメリカのみならず世界各国でその姿を目にするようになった。彼ら、現代のダンサーたちはギリシャやトルコ、レバノンやエジプトと言った中東文化の色濃い地域にも出現し始めている。多くの男性ダンサーが社会的な挑戦と同じレベルで、芸術的なアプローチにも向き合った活動を繰り広げている。さて、衣装の違いや振る舞いの違い、そして男女ダンサー間での議論の対象となっている男女ダンサーに存在する振り付けのダイナミズムの違い、そう言った問題は「存在している」のか「存在する問題として捉えるべき」なのだろうか。


1970年代前半のアメリカやラテン・アメリカ圏で良く知られた男性ダンサーとしてはバート・バラディン、ジョン・コンプトン、セルヒオ、オラシオ・チフェンテス、アミール・オブ・ボストン、アダム・バスマ、イブラヒム・ファラ、ジョシュリィ・シャリフ、アジズ、カマール、アミール・サリブ、ジム・ボズ、そしてタリク・スルタンが挙げられる。彼らのうち何人かはアメリカ生まれであり、他にも中東やヨーロッパからの移民である者がいた。例えばアダム・バスマはロンドン生まれである。ジョシュリィ・シャリフ(エジプト生まれであり、1990年代初頭にアメリカへと移住してきた)はレダ楽団のメンバーであり、当初はエジプト国立舞踏楽団のメンバーだった。マハムッド・レダが指揮し、エジプトの体操オリンピック代表選手だったメンバーで構成されるレダ楽団は既に40年以上に渡って活動を続けている。地球上に存在する他の男性ベリーダンサーはこのダンス様式に衝撃を受けた。特に、現在はドイツに移住し自らのバレエダンサーとしての知識を背景に、中東舞踏の様々な形式にバレエ様式を吹き込むダンスを創造し、ダンサーの性別を問わず大きな衝撃を巻き起こしたオラシオ・チフェンテスがその筆頭として挙げられる。
ニューヨークのタリク・スルタンはダンスにおいて男性が果たした歴史的役割に付いての文章を上梓し、大きな貢献をもたらしている。彼の文章である「Oriental Dance, it isn't just for women any more」はこのテーマに関して歴史的かつ文化的な性格を備えた、正確無比な文献のひとつとして挙げられる。「Choreophobia」の著者であるアントニー・シェイ博士も「The Male Dancer」と言う自らの著書の中で、『ダンスとはまさに女性のものであり、男性ダンサーは女性ダンサーの模倣に過ぎない』と言う作り話の打破に挑んでいる。シェイ博士は、中東のベリーダンス・シーンにおいては男性が社会的なレベルのみならずプロフェッショナルな舞台の上でも同様に、現在も活躍している事を示すために歴史的かつ文化的な論拠を著書内で提示している。紅海のリゾート地、シャム・イル・シェイクで活動するエジプト人男性ダンサー、チト・セイフは世界でもすぐれた技術を持つダンサーである、と言う評判を得ている。


  1. ^ Q84: ベリーダンスのようなエロチックなものもイスラームは認めているのですか”. www.aa.tufs.ac.jp. 2022年1月12日閲覧。
  2. ^ 矢口美香ダンスアートアトリエパシャ » ベリーダンスとは”. www.mika55.com. 2022年1月12日閲覧。
  3. ^ ベリーダンスの魅力とは?歴史や国による違い、衣装、基本の動きを徹底解説! | トルコ旅行 トルコツアー・観光なら、安心の『ターキッシュエア&トラベル』におまかせ!”. トルコ旅行に行きたい・トルコツアーに参加したい・トルコ観光を満喫したいならターキッシュエア&トラベル (2021年1月25日). 2022年1月12日閲覧。
  4. ^ ベリーダンスを踊った教師、解雇され離婚も エジプトで女性の権利めぐる議論に発展(BBC News)”. Yahoo!ニュース. 2022年1月12日閲覧。
  5. ^ ベリーダンス Dance Research access-date=6 April 2023
  6. ^ ミドルイースト・ベリーダンス access-date=6 April 2023
  7. ^ bellydance history 2023年4月6日閲覧
  8. ^ Washington Times: Egypt allows foreigners to belly dance September 5, 2004.
  9. ^ The Guardian: Bellydancing out, cinema in, says Hamas April 6, 2006.





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