ベイサイドプレイス博多埠頭 経営破綻問題

ベイサイドプレイス博多埠頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/16 04:58 UTC 版)

経営破綻問題

ベイサイドプレイスは博多港湾再開発の一環として計画された。1988年に福岡市5%、博多港開発(第三セクター)10%、福岡商事10%、西日本不動産開発10%、福岡地所10%のほか、九州電力など地場企業の出資により資本金4億円で「サン・ピア博多」が設立され、1991年6月にベイサイドプレイス博多がオープンする。社長は歴代福岡市職員OBが務め、開業当時は年間来場者数400万人超の市内有数の集客施設であった。

しかし、交通アクセスの悪さに加え、シーサイドももちや市内大型商業施設と競合し来場者が減少するなどの要因のため、2000年3月期まで継続して赤字経営となっていた。2002年11月、ベイサイドシティ(株)が運営する大型温浴施設「博多一番風呂」や飲食店「博多屋台街」などが開業して年間来場者数が300万人台を回復するものの2005年6月、急速な経営多角化[3]による影響から同社が自己破産を申請。同社がベイサイドプレイスで経営する店舗は全25店中5店、床面積にして4分の1を占めており、収入源の7割をテナント収入に頼るサン・ピア博多にとって経営上の打撃をこうむった結果2005年9月、民事再生法の適用を福岡地裁に申請し受理された。負債総額はおよそ39億円(うち金融債務は33億円)で、福岡市からの融資3億4,000万円は債権放棄となった。また、福岡市が出資する第三セクターで初の破綻となったが、この破綻は福岡オリンピック構想への批判でも言及され、山崎市政不信任に繋がる1つとなった。

破綻後、サン・ピア博多の資産は九電工に売却され負債の整理に当てられることとなる。九電工は六本木ヒルズなどを手がける森ビル系列の森ビル都市企画と共同で商業アミューズメント施設を運営することを計画していたが頓挫。そののち地元の農水産物を取り扱う市場やレストランを中核として2010年3月にリニューアルオープン[4]。この再生計画に経営再建中の民放FMラジオ局・cross fmが加わることになり、再開に併せ岩田屋天神本店新館1階に設けていた天神きらめき通りスタジオを廃止してベイサイドプレイスに移設した。2010年7月にはベイサイドプレイスの利用促進や周辺エリアの整備を進めるため、地場の有力企業などによる「ベイサイドプレイス博多協力会」が設立された[広報 2]




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