スティーブ・サンプソン アメリカ代表監督

スティーブ・サンプソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/01/08 09:44 UTC 版)

アメリカ代表監督

コパアメリカ1995

ワールドカップの後、ボラが辞任し、アメリカ合衆国サッカー連盟(USSF)は1995年4月にサンプソンを暫定監督の座に据えた。しかし、コパ・アメリカ1995での、アルゼンチンを3-0で打ち負かしたことを含め、驚きに満ちた4位入賞まで導いたこと、そして最大のライバル、メキシコに対しても準々決勝で勝利したことにより、同年8月、サンプソンは暫定監督から監督に昇格を遂げた。

アメリカ代表チームは1990年ワールドカップ以来、素晴らしい団結力を築き上げてきた。当時のアメリカには国内リーグがなかったため、選手はほとんどの時間を代表チームのために戦うことができた。その結果、プロクラブでの仲間のように、お互いをよく知ることができた。サンプソンの前任者、ミルティノビッチは小さくまとめたチームを作り上げた。この手法は高い水準の戦術を浸透させた一方で、しばしば創造性を締め付けた。サンプソンが監督になった時に、チーム戦術を柔軟な方向へと転換した。結果、アメリカは1995コパアメリカとワールドカップ予選で気迫ある試合を見せつけた。実際に予選で負けた試合は1試合だけであった。戦術的な質を欠いた1998年ワールドカップ予選は実体感を伴わない高い期待を代表チームに植え付けた。サンプソンはその高い期待を抱かせるに値した、1998年ゴールドカップでの1-0のブラジル戦勝利という歴史的快挙を演じてしまっていた。

1998年フランスワールドカップ

成功の日々にも関わらず、アメリカ代表の挑戦の日々は続いた。ドイツ戦、ユーゴスラビア戦はCONCACAFでの予選よりもはるかに難しい試合を強いられた。この年の春に、サンプソンはフォーメーションを「3-6-1」という流行していないものを採用し、ドイツ戦に備え、ドイツの重厚な中盤に対してカウンター戦術を採った。欧州王者のドイツに対して中盤の網を掛けるというのはこのワールドカップでの傑出した作戦であった。この保守的なアプローチはよく機能したが、前半にコーナーキックから、マイク・バーンズのゴールポスト際でのシュートブロックのミスで失点を喫した。後半にサンプソンはシステムを変更し、結束した試合運びを見せたが、それも当代きってのストライカー、ユルゲン・クリンスマンのゴールによって気持ちがくじかれてしまう。試合は結果として0-2で敗れた。第2戦目のイラン戦は魂を込めた戦いぶりを見せはしたが、ネットを揺らすことは1度しかなく、5度もポストやバーに嫌われるという不運もあり、1-2でこの大事な試合を落とした。カウンターアタックでのゴールを許した、その手法は、アメリカがドイツを打ち負かすための最善の方法だったにも関わらず、イランからは速攻を許し、選手は憔悴しきった。唯一のゴールはブライアン・マクブライドだった。監督考査として重要となったユーゴスラビア戦は0-1で負けてしまった。

サンプソンはアメリカ人選手を欧州でプレーさせることを模索していた。デイヴィッド・レジスはサンプソンが招集した中で最も優れた選手であったが、市民権を得るのに遅れ、年齢的に大きな魅力を与えられなかった。マイケル・メイソンとデイヴィッド・ワグナーは若手のMLS選手の中で弱点を克服させることに成功した選手たちだった。議論の余地はあるものの、サンプソンはワールドカップ直前にキャプテンのジョン・ハークスを代表から落選させた。多くの理由が挙げられるが、彼の代表選手としての振る舞いのせいでもあり、リーダーシップの欠如、そしてより攻撃的な役割を果たして欲しかったが、そうではなかったからだとされる。ワールドカップの舞台におけるハークスのリーダーシップはもうなく、サンプソンによる代表から除外するという行為は、いわば深刻な骨折状態になったアメリカ代表になってしまったということであった。[1]サンプソンの攻撃陣のために働けるのは、エリック・ウィナルダと創造性に富んだミッドフィールダーのタブ・ラモスだけであった。アメリカ代表チームはグループリーグで1つの勝ち星も上げられず、1998年6月29日、サンプソンは監督の座を辞した。

2010年2月、サンプソンはAP通信のインタビューに答え、ハークスを1998年ワールドカップメンバーから外したのは、ストライカーのエリック・ウィナルダの妻、エイミーとの情事が原因であったと明かした。長期に渡ってハークスを取り巻く噂は片付き、サンプソンはウィナルダが南アフリカでの2010年ワールドカップに向けてイングランド代表チームにおける状況を裏付けるものとして公にした。[2]多くの人が、ハークスの代表チーム追放について選手個人のプライバシーに絡むことに対して慎重に扱い、正しい扱いをするべきだったのではないかと、サンプソンを批判した。




  1. ^ [1][リンク切れ]
  2. ^ Blum, Ronald (2010年2月3日). “John Harkes Affair? Soccer Captain Allegedly Slept With Teammate's Wife”. The Huffington Post. 2010年5月5日閲覧。
  3. ^ Goff, Steven (2005年11月14日). “Galaxy Wins MLS Cup in OT”. Washington Post. 2010年5月5日閲覧。
  4. ^ [2]


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