ジョゼフ・デュプレシ ジョゼフ・デュプレシの概要

ジョゼフ・デュプレシ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 07:37 UTC 版)

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ジョゼフ・デュプレシ
『自画像』1801年頃
生誕Joseph-Siffred Duplessis
(1725-09-22) 1725年9月22日
フランス王国カルパントラ
死没1802年4月1日(1802-04-01)(76歳)
フランス共和国ヴェルサイユ
国籍 フランス

生涯

南フランス、ヴォクリューズ県カルパントラで生まれた。父親は医者で、アマチュア画家として知られていた。父親から絵を学んだ後、宮廷画家シャルル・ルブランの弟子のアンベール(Joseph-Gabriel Imbert:1666–1749)に学んだ。1744年から1747年の間はローマで、南フランス出身の画家ピエール・シュプレイラスの工房で修行し、南フランスの画家、クロード・ジョセフ・ヴェルネとも親しくなった。

カルパントラに戻り、リヨンでしばらく暮らした後、1752年頃、パリに移り、画家組合のアカデミー・ド・サン=リュック(Académie de Saint-Luc)の会員になった。肖像画家として知られるようになるのは1769年のサロン・ド・パリに作品を出展してからで、ドゥニ・ディドロに注目され。王立絵画彫刻アカデミーの会員に選ばれた。

ベンジャミン・フランクリンの肖像がデザインされた100ドル

1771年に宮廷画家に任じられ、宮殿にスタジオを与えられた。革命が始まるとカルパントラに避難した後、1796年からベルサイユの美術館の学芸員を務めた。1802年にベルサイユで亡くなった。

アメリカの100ドル紙幣のベンジャミン・フランクリンの肖像はデュプレシの肖像画が原画となっている。

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