オランダ黄金時代の絵画 風景画

オランダ黄金時代の絵画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 07:50 UTC 版)

風景画

『冬の風景』, エサイアス・ファン・デ・フェルデ, 1623年

風景画は17世紀でも人気のある分野で、16世紀にフランドルで描かれた風景画が最初にその火付け役となった。実在の風景を描いた写実的絵画ではなく、多くが空想を交えて工房で描かれた絵画であり、初期フランドル派のヨアヒム・パティニールヘッリ・メット・デ・ブレスやピーテル・ブリューゲルがその伝統を受け継いだ画家たちである。オランダでは屋外で風景画を描くことによってより写実的なものとなった。フランドルの風景画によくみられる高い位置から俯瞰したような構図ではなく実際の視点からの構図であり、低い位置に描かれた地平線、広い上空に描かれた印象的な雲と降り注ぐ太陽光がオランダの風土を表す典型的な表現となっていった。好んで画題とされたのは西部の海岸、隣接する牧草地と家畜が描かれた河川などで、はるか遠景に影のように都市の町並みが描かれることも多かった。凍った運河や小川を描いた冬の風景や海も多く描かれている。

オランダ風景画が写実主義へと移行していく過渡期の重要な画家として、エサイアス・ファン・デ・フェルデ(1587年 - 1630年)、ヘンドリック・アーフェルカンプ(1585年 - 1634年)がおり、二人とも風俗画家としても重要な画家である。とくにアーフェルカンプの作品は風景画、風俗画どちらのカテゴリとしても問題ない作品が多い。1620年代後半から、対象物の輪郭を和らげ、ぼかし効果を多用して見事なまでに空を表現した風景画が描かれ始める(「色調のフェーズ」)。これらの風景画では人物は描かれないか、あるいは小さく遠景に描かれることが多く、対角線の構図で水辺を描いた風景画が主流となっていった。

著名な風景画家として、ヤン・ファン・ホーイェン(1595年 - 1656年)、サロモン・ファン・ロイスダール(1602年 - 1670年)、ピーテル・デ・モレイン(1595年 - 1661年)、シモン・デ・フリーヘル(1601年 - 1653年)などがいる。近年の研究ではアルベルト・カイプ(1620年 - 1691年)を含む75人以上の画家が、ホーイェンの作風に影響を受けて絵画を制作したといわれている[42]

ウェイク・ベイ・ドゥールステーデの風車』,ヤーコプ・ファン・ロイスダール, 1670年, アムステルダム国立美術館
馬に乗った人のいる川景色』, アルベルト・カイプ, 1655年頃, アムステルダム国立美術館, カイプはイタリアの「黄金の光」をオランダ絵画に再現した

1650年代からは「古典的フェーズ」が始まる。「色調のフェーズ」独特のぼやけた表現は残っているものの、より表現力に満ちた構図で、光と色彩の強いコントラストで描かれた風景画である。構図としては一本の「壮大な樹木」、風車、塔、そして海を描いた風景画であれば舟が主題となった作品がよく描かれた[43]。この時期の重要な画家にヤーコプ・ファン・ロイスダール(1638年 - 1682年)がおり、さまざまな主題で数多くの作品を描いた。イタリア・ルネサンス風の作品ではなく、暗欝で急流や滝が描かれた山や森の大規模な「北欧風の」絵画を描いている[44]。『ミッデルハルニスの並木道 (1689年)(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)』で知られるメインデルト・ホッベマ(1638年 - 1709年)はファン・ロイスダールの弟子である。アルベルト・カイプとフィリップ・デ・コーニンク(1619年 - 1688年) (en:Philip de Koninck) も独自の作風の絵画を描いており、高さ1メートル以上の大きな作品で知られている。カイプはイタリアの技法である黄金色の光の表現を昼の情景に用い、前景にその光を浴びる人物を描き、後景には川と広大な自然を描きだした。

「色調のフェーズ」「古典的なフェーズ」のどちらにも属さない、イタリア風の風景画もオランダでは描かれているが、このスタイルの風景画家の全てがイタリアを訪れているわけではない。ヤン・ボト(? - 1652年)(en:Jan Dirksz Both) はローマ在住経験があり、カイプらオランダ風景絵画に大きな影響を受けたフランス人画家クロード・ロランとともに修業している。イタリア風風景画を描き続けた画家にニコラース・ベルヘム(1620年 - 1683年)、アダム・ペイナッケル(1622年 - 1673年)(en:Adam Pijnacker) があげられる。ペイナッケルは版画となって流入したイタリアの風景画を模写した作品を、当時のどの画家よりも多く描いている[45]

当然ながら以上のようなカテゴリに属さない風景画を描いた画家も多く存在した。レンブラントの数少ない風景画には、16世紀の作風で渓谷が描かれた大きな風景画を描いたヘルクレス・セーヘルス(1589年頃 - 1638年頃)などさまざまなスタイルの影響がみられる[46]

動物が描かれた風景画を描いた画家として、パウルス・ポッテル(1625年 - 1654年)、アドリアーン・ファン・デ・フェルデ(1636年 - 1672年)、カレル・デュジャルディン(1626年 - 1678年)、フィリップス・ワウウェルマン(1619年 - 1668年)らがいる。牛はオランダでは富の象徴だったが絵画では描かれることは少なく、馬が描かれることがはるかに多く、羊はイタリア風の風景画であることを表すために描かれていた。

アッセンデルフトの聖オドゥルフス教会の内部』, ピーテル・ヤンスゾーン・サーンレダム, 1649年, アムステルダム国立美術館

教会などの建築物を描いた風景画もオランダではよく描かれた。当初描かれていたのは想像上の宮殿や街並みで、架空の北方マニエリスム様式の建物だった。フランドルでこのスタイルの風景画が発展し、オランダでもディルク・ファン・デーレン(1605年頃 - 1671年頃)が作品を残している。自然の風景画同様に建築物を描いた風景画も徐々に写実的なものへと変わっていった。なかには遠近法を用いて教会内部のインテリアを描いたピーテル・ヤンスゾーン・サーンレダム(1597年 - 1665年)やエマヌエル・デ・ウィッテ(1617年 - 1692年)のような画家もいる。ウィッテやヘンドリック・ファン・フリート(1611年頃 - 1675年)らが作風を受け継いだヘラルト・ハウクヘースト(1600年 - 1661年)は、構図に対角線を用いることによって伝統的な絵画描写により劇的な効果を加えている[47]ヘリット・ベルクヘイデ(1638年 - 1698年)は、中規模都市の中央通り、広場、公共建築物などを専門的に描いた画家で、ヤン・ファン・デル・ヘイデン(1637年 - 1712年)は、アムステルダムの通りを木々や運河とともに落ち着いた静かな情景として描いた画家である。ヘイデンが描いた絵画は実際の風景を描いた作品だったが、より作品の完成度を上げるために手を加えることもあった[48]

ネーデルラント連邦共和国の繁栄はその多くを諸国との海洋貿易に負っており、都市には川や運河が交錯する水運都市でもあった。このような背景のもとで海洋画は非常に多く描かれるようになり、当時のオランダ人画家たちによって海洋画はさらなる発展を遂げる。河川や土地を描いた風景画と同様に、高い位置から見下ろしたような初期海洋画の視点から構図が下がっていったことが重要な分岐点となった[49]。海洋画も風景画の一種と見ることができ、多くの風景画家が川を描いた風景画と同様に海を描いた海洋画を制作している。サロモン・ファン・ロイスダールアルベルト・カイプヤン・ポルセリスシモン・デ・フリーヘル、アブラハム・シュトーク、ウィレム・ファン・デ・フェルデ (父)ウィレム・ファン・デ・フェルデ (子)などが当時の著名な画家である。


注釈

  1. ^ 1702年がオランダ黄金時代の終焉だとする説がある:Slive はオランダ黄金時代を1600年 - 1675年と1675年 - 1800年に分けて著述している[1]
  2. ^ 日本で「オランダ絵画」と呼称される絵画は、この時代に描かれたものをさすことが一般的である。
  3. ^ 現存しているのはそのうちの1%程度で、価値ある絵画は10%程度だった(Lloyd, 15)
  4. ^ MacLaren によると、ヤン・ステーンは宿屋を経営し、アルベルト・カイプは裕福な家庭から妻を迎えたため経済的な心配はなかった。一方カレル・デュジャルディンは画家として生計を立てるのを諦めたとされる
  5. ^ ソフィアの父Elias Trip(VOC取締役)の2人目の妻である母Alithea Adriaensdochter、妹マリア・トリップ(1619-1683)[21]をレンブラントが肖像画に描いている[22]
  6. ^ クラースは光の反射の表現にすぐれていたことで有名だった。
  7. ^ 娼婦を買うためのコインであり、この絵画が売春宿の情景であることを意味している。

出典

  1. ^ Slive, 296, 294, 32
  2. ^ Fuchs, 104
  3. ^ Franits, 217 and ff. on 1672 and its effects.
  4. ^ Prak, 241
  5. ^ Lloyd, 97
  6. ^ a b Fuchs, 43
  7. ^ Franits' book is largely organized by city and by period; Slive by subject categories
  8. ^ Fuchs, 76
  9. ^ See Slive, 296-7 and elsewhere
  10. ^ Fuchs,107
  11. ^ Fuchs, 62, R.H. Wilenski, Dutch Painting, "Prologue" pp. 27-43, 1945, Faber, London
  12. ^ Fuchs, 62-3
  13. ^ Slive, 13-14
  14. ^ Fuchs, 62-69
  15. ^ Franits, 65. Catholic 17th century Dutch artists included Abraham Bloemaert and Gerard van Honthorst from Utrecht, and Jan Steen, Paulus Bor, Jacob van Velsen, plus Johannes Vermeer who probably converted at his marriage. Jacob Jordaens was among Flemish Protestant artists.
  16. ^ Slive, 22-4
  17. ^ Fuchs, 69-77
  18. ^ Fuchs, 77-78
  19. ^ Ekkart, 130 and 114.
  20. ^ "Sold in july 2008 by Sotheby's for 8,8 milj. euro".
  21. ^ 歴史家Isabella Henriette van Eeghenのレンブラント研究がBalthasar Coymansの妻の肖像画であるとした(1956年)。
  22. ^ トリプ家系図
  23. ^ Ekkart, 17 n.1 (on p. 228).
  24. ^ Shawe-Taylor, 22-23, 32-33 on portraits, quotation from 33
  25. ^ Ekkart, 118
  26. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 68-69
  27. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 66-68
  28. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 69-71
  29. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 72-73
  30. ^ BS朝日 - 世界の名画 ~美の迷宮への旅~”. archives.bs-asahi.co.jp. 2024年1月14日閲覧。
  31. ^ Fuchs, 42 and Slive, 123
  32. ^ Franits, 1, mentioning costume in works by the Utrecht Caravagggisti, and architectural settings, as especially prone to abandon accurate depiction.
  33. ^ Franits, 4-6 summarizes the debate, for which Svetlana Alpers' The Art of Describing (1983) is an important work (though see Slive's terse comment on p. 344). See also Franits, 20-21 on paintings being understood differently by contemporary individuals, and his p.24
  34. ^ On Diderot's Art Criticism. Mira Friedman.p. 36
  35. ^ Fuchs, 39-42, analyses two comparable scenes by Steen and Dou, and p. 46.
  36. ^ Franits, 24-27
  37. ^ Franits, 34-43. Presumably these are intended to imply houses abandoned by Catholic gentry who had fled south in the Eighty Years War. His self-portrait shows him, equally implausibly, working in just such a setting.
  38. ^ Fuchs, 80
  39. ^ Franits, 164-6.
  40. ^ MacLaren, 227
  41. ^ Franits, 152-6. Schama, 455-460 discusses the general preoccupation with maidservants, "the most dangerous women of all" (p. 455). See also Franits, 118-119 and 166 on servants.
  42. ^ Slive, 189 – the study is by H.-U. Beck (1991)
  43. ^ Slive, 190 (quote), 195-202
  44. ^ Derived from works by Allart van Everdingen who, unlike Ruysdael, had visited Norway, in 1644. Slive, 203
  45. ^ a b Slive, 225
  46. ^ Rembrandt owned seven Seghers; after a recent fire only 11 are now thought to survive – how many of Rembrandt's remain is unclear.
  47. ^ Slive, 268-273
  48. ^ Slive, 273-6
  49. ^ Slive, 213-216
  50. ^ Slive, 279-281. Fuchs, 109
  51. ^ Fuchs, 113-6
  52. ^ and only a few others, see Slive, 128, 320-321 and index, and Schama, 414. The outstanding woman artist of the age was Judith Leyster. Other female artists are described here
  53. ^ Fuchs, 111-112. Slive, 279-281, also covering unseasonal and recurring blooms.
  54. ^ Slive, 212
  55. ^ See Reitlinger, 11-15, 23-4, and passim, and listings for individual artists
  56. ^ See Reitlinger, 483-4, and passim
  57. ^ Slive, 319
  58. ^ Slive, 191-2
  59. ^ Slive, 144 (Vermeer), 41-2 (Hals), 173 (Steen)
  60. ^ Slive, 158-160 (coin quote), and Fuchs, 147-8, who uses the title Brothel Scene. Franits, 146-7, citing Alison Kettering, says there is "deliberate vagueness" as to the subject, and still uses the title Paternal Admonition.
  61. ^ Reitlinger, I, 11-15. Quote p.13





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