オランダ黄金時代の絵画 風俗画

オランダ黄金時代の絵画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 07:50 UTC 版)

風俗画

牛乳を注ぐ女』, ヨハネス・フェルメール, 1660年頃, アムステルダム国立美術館

風俗画に描かれているのは特定可能な有名な人物というわけではなく、肖像画としても歴史画としても分類できない一般市民の日常生活である。風景画とともに、風俗画の発展と広範な人気は当時のオランダ絵画の最大の特徴となっているが、フランドルでも同時期に風俗画の人気は高かった。フェルメールの『牛乳を注ぐ女』のように一人の人物を主題に描かれた作品も多いが、複数の階層や群集を描いた大きな作品もある。風俗画には多くの画題があり、一人の人物、農夫の家族、居酒屋、家事をする女性、村祭り、市場、兵舎、馬や家畜など多岐に渡っている。当時のオランダではそれぞれのタイプの絵画を指す呼び方はあったが、「風俗画」に相当するような全てのタイプの絵画を意味する総称は存在しなかった。18世紀後半のイングランドでは、これらの絵画の総称として「ユーモアのある絵画 (drolleries)」が使われていた[31]

『リュートを弾く女』, ヘリット・ファン・ホントホルスト, 1625年, ユトレヒト中央博物館, リュートがこの場所は売春宿であることを意味している

風俗画には17世紀のあらゆる階層の大衆の日常が描かれているが、必ずしも正確な描写がなされているとは限らない[32]。風俗そのものを描いている作品ももちろんあるが、日常生活を表現しているように思える絵画が、実はオランダの格言や教訓を絵画として描いている可能性もある。多くの画家が猥雑な家庭や売春宿を描く楽しみと教訓的絵画との両立とを試みており、居酒屋も経営していたヤン・ステーン(1626年 - 1679年)の作品が例としてあげられる。これら二つの主題のバランスについては現在でも美術史家たちの間で論議となっている[33]。後世になって風俗画につけられた題名には「居酒屋」「宿屋」「売春宿」が区別された題名になっているが、実際には同じ目的の施設を意味していることが多く、ほとんどの居酒屋には二階に宿泊客のための小部屋があったり、裏手には売春目的の部屋があった。「前は宿屋で後ろは女郎屋」はオランダのことわざでもあった[34]。ステーンの絵画はまさしく好例で、絵画に描かれている各構成要素は写実的に現実のものとして描かれているが、絵画全体としては現実の光景を表現したものではない。典型的な風俗画で、あくまでも絵画として表現された風刺となっている[35]

『農夫の家』, アドリアーン・ファン・オスターデ, 1661年

初期フランドル派から受け継いだ写実主義と細部の詳細な描きこみを最初に風俗画に取り込んだのは、ヒエロニムス・ボスピーテル・ブリューゲルらで、格言や教訓を風俗画の題材とし始めたのも同じときだった。そしてウィレム・バイテウェッヘフランス・ハルスエサイアス・ファン・デ・フェルデたちが黄金時代初期の主要な風俗画家となった。バイテウェッヘは道徳的寓意をひそかに忍ばせた、着飾った若者たちを描いている。ファン・デ・フェルデは風景画家としても重要な存在だったが、その風俗画とは対照的に風景画では人物を地味に描いている。ハルスは肖像画家として有名だが、キャリア初期には風俗画も描いている[36]。1625年ごろから、居酒屋を扱った作品を多く描いたフランドルのアドリアーン・ブラウエルがハールレムに滞在し、アドリアーン・ファン・オスターデに大きな影響を与えている。それまでは農民を題材とした絵画のほとんどが野外を舞台に描かれていたが、ブラウエルは農民たちを飾り気のない薄暗い部屋を舞台として描き、オスターデはみすぼらしい屋内の描写が画面のほとんどを占める大きな絵を描いている[37]

『猟師の贈り物』, ハブリエル・メツー, 1658年 - 1660年頃, アムステルダム国立美術館

他にオランダ黄金時代の著名な風俗画家としては、女流画家のユディト・レイステル(1609年 - 1660年)、その夫ヤン・ミーンセ・モレナール(1610年 - 1668年)、ヘラルト・ドウ(1613年 - 1675年)、ハブリエル・メツー(1629年 - 1667年)、フランス・ファン・ミーリス(1635年 - 1681年 (en:Frans van Mieris the Elder))、その息子ウィレム・ファン・ミーリス(1662年 - 1747年)、ゴドフリート・スカルッケン(1643年 - 1706年)アドリアーン・ファン・デル・ウェルフ(1659年 - 1722年 らがあげられる。

黄金時代後半でも肖像画や歴史画を描く画家は非常に高く評価され、現代の観点からは精緻に過ぎるといわれることすらあるそれらの作品は高価格で取引されるようになり、ヨーロッパ中でもてはやされていた[38]。風俗画はオランダ社会の拡大する隆盛を反映して、徐々に穏やかで富裕な階級を表現したものとなっていった。


注釈

  1. ^ 1702年がオランダ黄金時代の終焉だとする説がある:Slive はオランダ黄金時代を1600年 - 1675年と1675年 - 1800年に分けて著述している[1]
  2. ^ 日本で「オランダ絵画」と呼称される絵画は、この時代に描かれたものをさすことが一般的である。
  3. ^ 現存しているのはそのうちの1%程度で、価値ある絵画は10%程度だった(Lloyd, 15)
  4. ^ MacLaren によると、ヤン・ステーンは宿屋を経営し、アルベルト・カイプは裕福な家庭から妻を迎えたため経済的な心配はなかった。一方カレル・デュジャルディンは画家として生計を立てるのを諦めたとされる
  5. ^ ソフィアの父Elias Trip(VOC取締役)の2人目の妻である母Alithea Adriaensdochter、妹マリア・トリップ(1619-1683)[21]をレンブラントが肖像画に描いている[22]
  6. ^ クラースは光の反射の表現にすぐれていたことで有名だった。
  7. ^ 娼婦を買うためのコインであり、この絵画が売春宿の情景であることを意味している。

出典

  1. ^ Slive, 296, 294, 32
  2. ^ Fuchs, 104
  3. ^ Franits, 217 and ff. on 1672 and its effects.
  4. ^ Prak, 241
  5. ^ Lloyd, 97
  6. ^ a b Fuchs, 43
  7. ^ Franits' book is largely organized by city and by period; Slive by subject categories
  8. ^ Fuchs, 76
  9. ^ See Slive, 296-7 and elsewhere
  10. ^ Fuchs,107
  11. ^ Fuchs, 62, R.H. Wilenski, Dutch Painting, "Prologue" pp. 27-43, 1945, Faber, London
  12. ^ Fuchs, 62-3
  13. ^ Slive, 13-14
  14. ^ Fuchs, 62-69
  15. ^ Franits, 65. Catholic 17th century Dutch artists included Abraham Bloemaert and Gerard van Honthorst from Utrecht, and Jan Steen, Paulus Bor, Jacob van Velsen, plus Johannes Vermeer who probably converted at his marriage. Jacob Jordaens was among Flemish Protestant artists.
  16. ^ Slive, 22-4
  17. ^ Fuchs, 69-77
  18. ^ Fuchs, 77-78
  19. ^ Ekkart, 130 and 114.
  20. ^ "Sold in july 2008 by Sotheby's for 8,8 milj. euro".
  21. ^ 歴史家Isabella Henriette van Eeghenのレンブラント研究がBalthasar Coymansの妻の肖像画であるとした(1956年)。
  22. ^ トリプ家系図
  23. ^ Ekkart, 17 n.1 (on p. 228).
  24. ^ Shawe-Taylor, 22-23, 32-33 on portraits, quotation from 33
  25. ^ Ekkart, 118
  26. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 68-69
  27. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 66-68
  28. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 69-71
  29. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 72-73
  30. ^ BS朝日 - 世界の名画 ~美の迷宮への旅~”. archives.bs-asahi.co.jp. 2024年1月14日閲覧。
  31. ^ Fuchs, 42 and Slive, 123
  32. ^ Franits, 1, mentioning costume in works by the Utrecht Caravagggisti, and architectural settings, as especially prone to abandon accurate depiction.
  33. ^ Franits, 4-6 summarizes the debate, for which Svetlana Alpers' The Art of Describing (1983) is an important work (though see Slive's terse comment on p. 344). See also Franits, 20-21 on paintings being understood differently by contemporary individuals, and his p.24
  34. ^ On Diderot's Art Criticism. Mira Friedman.p. 36
  35. ^ Fuchs, 39-42, analyses two comparable scenes by Steen and Dou, and p. 46.
  36. ^ Franits, 24-27
  37. ^ Franits, 34-43. Presumably these are intended to imply houses abandoned by Catholic gentry who had fled south in the Eighty Years War. His self-portrait shows him, equally implausibly, working in just such a setting.
  38. ^ Fuchs, 80
  39. ^ Franits, 164-6.
  40. ^ MacLaren, 227
  41. ^ Franits, 152-6. Schama, 455-460 discusses the general preoccupation with maidservants, "the most dangerous women of all" (p. 455). See also Franits, 118-119 and 166 on servants.
  42. ^ Slive, 189 – the study is by H.-U. Beck (1991)
  43. ^ Slive, 190 (quote), 195-202
  44. ^ Derived from works by Allart van Everdingen who, unlike Ruysdael, had visited Norway, in 1644. Slive, 203
  45. ^ a b Slive, 225
  46. ^ Rembrandt owned seven Seghers; after a recent fire only 11 are now thought to survive – how many of Rembrandt's remain is unclear.
  47. ^ Slive, 268-273
  48. ^ Slive, 273-6
  49. ^ Slive, 213-216
  50. ^ Slive, 279-281. Fuchs, 109
  51. ^ Fuchs, 113-6
  52. ^ and only a few others, see Slive, 128, 320-321 and index, and Schama, 414. The outstanding woman artist of the age was Judith Leyster. Other female artists are described here
  53. ^ Fuchs, 111-112. Slive, 279-281, also covering unseasonal and recurring blooms.
  54. ^ Slive, 212
  55. ^ See Reitlinger, 11-15, 23-4, and passim, and listings for individual artists
  56. ^ See Reitlinger, 483-4, and passim
  57. ^ Slive, 319
  58. ^ Slive, 191-2
  59. ^ Slive, 144 (Vermeer), 41-2 (Hals), 173 (Steen)
  60. ^ Slive, 158-160 (coin quote), and Fuchs, 147-8, who uses the title Brothel Scene. Franits, 146-7, citing Alison Kettering, says there is "deliberate vagueness" as to the subject, and still uses the title Paternal Admonition.
  61. ^ Reitlinger, I, 11-15. Quote p.13





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