オランダ黄金時代の絵画 次世代の評価

オランダ黄金時代の絵画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 07:50 UTC 版)

次世代の評価

『渡し船を待つ旅人』, フィリップス・ウーウェルマン, 1649年, 白馬はウーウェルマンがハイライトとしてよく描いたモチーフだった

17世紀オランダ絵画の大きな成功は次世代以降の絵画を圧倒するものだった。18世紀、19世紀のオランダ人画家で世界的な評価を受けている者はいない。17世紀終わりの時点ですら、画商は生きている画家よりも既に死去した画家の作品に興味を示すといわれるほどであった。

オランダ黄金時代の絵画は「巨匠・偉大な画家 (オールド・マスター)」の作品の大部分を占めているが、これは単に17世紀のオランダで大量の絵画が制作されたことによるものではない。「オールド・マスター」という言葉自体が、オランダ黄金時代の芸術家を意味する用語として18世紀につくられたものである。もとはオランダ王室コレクションが所有していたフィリップス・ウーウェルマンの作品だけでも、現在ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館に60枚以上、エルミタージュ美術館に50枚以上が所蔵されている[54]。しかし黄金時代のオランダ絵画の評価は時代によって様々で、とくにロマン派以降のレンブラントに対する賛美で顕著だった。一方財産価値と市場価格が大きく下がった画家もいる。黄金世紀終盤でもライデンの優れた画家たちへの評価は高かったが、19世紀半ば以降のさまざまなジャンルで描かれた写実主義の絵画はより賞賛され、高値で取引されることとなった[55]。フェルメールは描いた絵画が19世紀になってから他の画家の作品であるという間違った特定をされ、絵画の歴史からその名前がほとんど抹消されるところだった。しかしながら、他の画家の作品だったと誤解されていたフェルメールの多くの絵画がすでに主要なコレクションに所蔵されていたという事実は、画家の名前に関係なく個々の絵画それ自体が優れていたということを意味している[56]。フェルメールの他にも多くの無名画家の中から後世に有名画家の仲間入りをした画家として、アドリアーン・コールテ(1665年頃 - 1707年)、フランス・ポスト(1612年 - 1680年)らがあげられる[57][58]

意味ありげな会話』、別名『父の訓戒』, ヘラルト・テル・ボルフ, 1654年頃, アムステルダム国立美術館

風俗画は変わらず人気を保っていたが、ジャンルとしての風俗画は依然として低い位置におかれていた。18世紀のイギリス人画家ジョシュア・レノルズは、オランダ絵画について意義深いコメントを残している。レノルズはフェルメールの絵画『牛乳を注ぐ女』やハルスの生き生きとした肖像画などの質の高さに強い感銘を受け、自身の作品に正確に作品を仕上げるだけの忍耐が無かったことを自省している。そしてヤン・ステーンがイタリア生まれで盛期ルネサンスの洗礼を浴びていれば、ステーンの才能はより開花しただろうと残念がっている[59]。レノルズが活動していた時代には、風俗画が内包していた道徳的側面は、黄金時代に道徳的寓意に満ちた風俗画が描かれていたオランダですら理解されないものとなっていた。ヘラルト・テル・ボルフの作品に『意味ありげな会話』、別名『父の訓戒 (Conversación galante)』と呼ばれる絵画がある。この作品は、父親が娘を叱責しているところを繊細な表現で描いた絵画であるとして、ドイツの文豪ゲーテら多くの著名人に賞賛されていた。しかし現在の多くの美術史家はこの絵画は売春宿で客の男が娼婦を誘っているところを描いた作品であるとしている。この作品にはベルリンとアムステルダムに二枚のヴァージョンがあり、客の男が持っている「告げ口コイン (tell-tale coin)」[注釈 7]は、片方のヴァージョンにしか描かれていない。片方の作品のみに描き足されたのか、あるいは両方の作品にもともと描かれていたのが片方の作品から除去されたのかははっきりしていない[60]

18世紀後半にイングランドでは、オランダ絵画の現実的写実主義は「ホイッグ党風」と呼ばれていた。フランスでは啓蒙時代合理主義哲学と結びついて、政治改革への願望の象徴となった[61]。19世紀になるとオランダ写実主義は世界的な評価を得た。「ジャンルのヒエラルキー」の順位付けは衰退し、当時の各国の画家たちはオランダの風俗画から、写実主義と絵画に物語を与えるためのモチーフの両方を自分たちの作品に取り入れ始めた。オランダ絵画と同じような主題の絵画を描き、静物画以外では黄金時代のオランダ絵画が大きなキャンバスに描かれるあらゆる絵画ジャンルの先駆者ともいえる存在になっていった。

18世紀では風景画はイタリア風絵画がもっとも影響力があり、高く評価されていた。しかしイタリア風風景画は人工的で不自然であるとするロマン派の一員だった19世紀イギリス人画家ジョン・コンスタブルのように、抑制された色調の古典的な作風の画家を好む芸術家もいた[45]。19世紀の風景画においてはオランダ写実主義絵画とイタリア風絵画はどちらも影響力があり、大衆からの人気があったのは間違いない。


注釈

  1. ^ 1702年がオランダ黄金時代の終焉だとする説がある:Slive はオランダ黄金時代を1600年 - 1675年と1675年 - 1800年に分けて著述している[1]
  2. ^ 日本で「オランダ絵画」と呼称される絵画は、この時代に描かれたものをさすことが一般的である。
  3. ^ 現存しているのはそのうちの1%程度で、価値ある絵画は10%程度だった(Lloyd, 15)
  4. ^ MacLaren によると、ヤン・ステーンは宿屋を経営し、アルベルト・カイプは裕福な家庭から妻を迎えたため経済的な心配はなかった。一方カレル・デュジャルディンは画家として生計を立てるのを諦めたとされる
  5. ^ ソフィアの父Elias Trip(VOC取締役)の2人目の妻である母Alithea Adriaensdochter、妹マリア・トリップ(1619-1683)[21]をレンブラントが肖像画に描いている[22]
  6. ^ クラースは光の反射の表現にすぐれていたことで有名だった。
  7. ^ 娼婦を買うためのコインであり、この絵画が売春宿の情景であることを意味している。

出典

  1. ^ Slive, 296, 294, 32
  2. ^ Fuchs, 104
  3. ^ Franits, 217 and ff. on 1672 and its effects.
  4. ^ Prak, 241
  5. ^ Lloyd, 97
  6. ^ a b Fuchs, 43
  7. ^ Franits' book is largely organized by city and by period; Slive by subject categories
  8. ^ Fuchs, 76
  9. ^ See Slive, 296-7 and elsewhere
  10. ^ Fuchs,107
  11. ^ Fuchs, 62, R.H. Wilenski, Dutch Painting, "Prologue" pp. 27-43, 1945, Faber, London
  12. ^ Fuchs, 62-3
  13. ^ Slive, 13-14
  14. ^ Fuchs, 62-69
  15. ^ Franits, 65. Catholic 17th century Dutch artists included Abraham Bloemaert and Gerard van Honthorst from Utrecht, and Jan Steen, Paulus Bor, Jacob van Velsen, plus Johannes Vermeer who probably converted at his marriage. Jacob Jordaens was among Flemish Protestant artists.
  16. ^ Slive, 22-4
  17. ^ Fuchs, 69-77
  18. ^ Fuchs, 77-78
  19. ^ Ekkart, 130 and 114.
  20. ^ "Sold in july 2008 by Sotheby's for 8,8 milj. euro".
  21. ^ 歴史家Isabella Henriette van Eeghenのレンブラント研究がBalthasar Coymansの妻の肖像画であるとした(1956年)。
  22. ^ トリプ家系図
  23. ^ Ekkart, 17 n.1 (on p. 228).
  24. ^ Shawe-Taylor, 22-23, 32-33 on portraits, quotation from 33
  25. ^ Ekkart, 118
  26. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 68-69
  27. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 66-68
  28. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 69-71
  29. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 72-73
  30. ^ BS朝日 - 世界の名画 ~美の迷宮への旅~”. archives.bs-asahi.co.jp. 2024年1月14日閲覧。
  31. ^ Fuchs, 42 and Slive, 123
  32. ^ Franits, 1, mentioning costume in works by the Utrecht Caravagggisti, and architectural settings, as especially prone to abandon accurate depiction.
  33. ^ Franits, 4-6 summarizes the debate, for which Svetlana Alpers' The Art of Describing (1983) is an important work (though see Slive's terse comment on p. 344). See also Franits, 20-21 on paintings being understood differently by contemporary individuals, and his p.24
  34. ^ On Diderot's Art Criticism. Mira Friedman.p. 36
  35. ^ Fuchs, 39-42, analyses two comparable scenes by Steen and Dou, and p. 46.
  36. ^ Franits, 24-27
  37. ^ Franits, 34-43. Presumably these are intended to imply houses abandoned by Catholic gentry who had fled south in the Eighty Years War. His self-portrait shows him, equally implausibly, working in just such a setting.
  38. ^ Fuchs, 80
  39. ^ Franits, 164-6.
  40. ^ MacLaren, 227
  41. ^ Franits, 152-6. Schama, 455-460 discusses the general preoccupation with maidservants, "the most dangerous women of all" (p. 455). See also Franits, 118-119 and 166 on servants.
  42. ^ Slive, 189 – the study is by H.-U. Beck (1991)
  43. ^ Slive, 190 (quote), 195-202
  44. ^ Derived from works by Allart van Everdingen who, unlike Ruysdael, had visited Norway, in 1644. Slive, 203
  45. ^ a b Slive, 225
  46. ^ Rembrandt owned seven Seghers; after a recent fire only 11 are now thought to survive – how many of Rembrandt's remain is unclear.
  47. ^ Slive, 268-273
  48. ^ Slive, 273-6
  49. ^ Slive, 213-216
  50. ^ Slive, 279-281. Fuchs, 109
  51. ^ Fuchs, 113-6
  52. ^ and only a few others, see Slive, 128, 320-321 and index, and Schama, 414. The outstanding woman artist of the age was Judith Leyster. Other female artists are described here
  53. ^ Fuchs, 111-112. Slive, 279-281, also covering unseasonal and recurring blooms.
  54. ^ Slive, 212
  55. ^ See Reitlinger, 11-15, 23-4, and passim, and listings for individual artists
  56. ^ See Reitlinger, 483-4, and passim
  57. ^ Slive, 319
  58. ^ Slive, 191-2
  59. ^ Slive, 144 (Vermeer), 41-2 (Hals), 173 (Steen)
  60. ^ Slive, 158-160 (coin quote), and Fuchs, 147-8, who uses the title Brothel Scene. Franits, 146-7, citing Alison Kettering, says there is "deliberate vagueness" as to the subject, and still uses the title Paternal Admonition.
  61. ^ Reitlinger, I, 11-15. Quote p.13





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