UNDER17
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/06 05:07 UTC 版)
UNDER17(アンダーセブンティーン)は、桃井はること小池雅也により “萌えソングをきわめる”ことを目的に結成された音楽ユニット。通称「アンセブ」[1]。
注釈
- ^ 沙織事件などによって作られてきた流れ。
- ^ 桃井は"萌え"は定型的な媚びではなく、「精神的で人間的なもの」であり、「男の子が望むことと女の子が望むことの輪っかが重なる部分」と定義している。
- ^ 「(その頃のPCゲームソングは)おしゃれなバラードが多く、昔のアニメソングやアイドルソングのような、口ずさめるものを作曲するユニットをつくりたいと思ったことがきっかけだった」桃井はるこ緊急インタビュー!ヲタなら見逃せない大晦日開催 「アニソンキング」の魅力を熱弁!!(5/5)|おたぽる
- ^ 桃井が自身をバーチャルアイドルとしてプロデュース。
- ^ 「UNDER17は、もうオタクのオタクによるオタクのためのユニットにしようと思った」「オタクの中から出てきたものがUNDER17」「オタクから入って音楽をやる、みたいな。そういう意味で「UNDER17はロックだ」」『声優&アニメソングミュージックガイド―音楽からアニメを楽しむぼくたちのA-POP宣言!!』43頁
出典
- ^ 『アキハバLOVE』 p.105
- ^ 『アキハバLOVE』 p.114
- ^ 『桃井はるこのモモイズム♥萌えイズム 2.美少女ゲームソングをキワメるぞ!!UNDER17』(『電撃萌王』及び『アキハバラブ』 291頁)
- ^ 『アキハバLOVE』 p.110
- ^ モモイハルコ秘密の日記 2002/03 - 2002/03/29
- ^ ライブ会場限定で「スペースラブ」というシングルを発売している。モモイハルコ秘密の日記 2002/02 - 2002/02/22
- ^ モモイハルコ秘密の日記 2002/02 - 2002/02/04
- ^ キャラフェス2002春、開幕!東京ビッグサイトはやはり熱かった!! | 電撃オンライン
- ^ 会場は大盛り上がり! UNDER17のライブをレポート!! | 電撃オンライン
- ^ 現代用語の基礎知識選 新語・流行語大賞 2004年月間ランキング。翌2005年には「萌え~」が流行語大賞に選ばれる。
- ^ 2004年のLIVE TOUR 『そして伝説へ・・・』
- ^ 桃井は2004年最終公演時には病院で注射を受けながら舞台に立つ容体で、マイクをまともに握ることができないこともあった。最終公演の舞台裏取材をまとめた『ウラアンゼブ』に詳しい。
- ^ Nakid Official Website - 2004/09/27 ■ファンのみなさまへ
- ^ 16年ぶり復活…伝説の萌えソングユニット「UNDER17」がオタク文化に残した功績 桃井はるこ【インタビュー】 | アニメ!アニメ!
- ^ 『アキハバLOVE』 p.115
- ^ 「そういうイベントに行くと眼鏡をかけている人が多い、だからみんなと一緒だよという意味を込めて私も眼鏡をかけてます」『ウラアンセブ』42:00~42:45
- 1 UNDER17とは
- 2 UNDER17の概要
- 3 構成員
- 4 逸話
- 5 参考文献
UNDER17
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/08 07:44 UTC 版)
後期アンセブはその音楽的闘争の中で幾つもの傑作を生み出したが、それ故に両者の中は修復不能なほど亀裂を深め、2004年末のライブを以って解散に至ることになる。桃井との関係修復は十年近い時を経た、AnimeJapan 2014での「激動のアニソン史2000's『桃井はるこ&小池雅也~電波の系譜』」を待つこととなった。 小池はUNDER17を振り返り、あの頃はプロ意識がなく、アマチュアの延長で無我夢中に右も左もわからず刹那的にやっていた。今となってはUNDER17の解散は本職になる上でのひとつの通過点であったと位置づけている。
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