MLBドラフト・契約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:52 UTC 版)
「ブリエン・テイラー」の記事における「MLBドラフト・契約」の解説
ニューヨーク・ヤンキースはテイラーを1991年のMLBドラフトで1巡目、全米1位として指名した。 尚、クリーブランド・インディアンスは1巡目、全体13位でマニー・ラミレスを指名し、入団している。 ヤンキースは当初、テイラーに契約金として30万ドルを提示した。これは、前年の全体1位だったチッパー・ジョーンズの契約金が27万5000ドルであり、同年に指名された契約金最高額の選手でも全体2位で指名された大卒外野手のトニー・クラークと全体14位で指名された高卒投手のトッド・ヴァン・ポッペル(英語版)に対する50万ドルと当時の全米ドラフト1位選手に対する一般的な金額だった 。 しかし、代理人のスコット・ボラスはテイラーに前年のヴァン・ポッペルがテキサス大学の奨学金のオファーがあることを利用して、「契約しなければ大学に進学する」と宣言したことで全体14位でも50万ドルという破格の契約金(この前年の1989年の契約金の最高額は全体1位のベン・マクドナルドの35万ドルであり、20万ドルを超えた選手もマクドナルドを含めて3人のみ)を勝ち取ったことを教えた。テイラーはボラスの教えに従って「ヤンキースが契約しなかった場合、(地元ノースカロライナ州内にある2年制短大の)ルイスバーグ・カレッジに通う(テイラーは高校での成績が悪かった為、有名4年制大学からの奨学金オファーが無かった)」と宣言し、ボラスはヤンキースにテイラー側の契約金120万ドルの条件を受け入れる様に迫った 。 これについて当時リーグから職務停止処分を言い渡されていたヤンキースのオーナーであるジョージ・スタインブレナーはメディアを通じて、「(テイラーと契約できなければ)彼ら(球団幹部やスカウト)は撃たれるべきだ」という金額無視でも契約を優先するべきという考えを示唆するコメントを発表した 。結局、ヤンキースはテイラーと新学期が始まる前日、すなわち交渉期限当日の8月26日に当初のテイラー側の要求を上回る契約金155万ドルで契約した 。 これは同年のドラフトで指名された選手の契約金第2位の選手(ショーン・グリーンの72万5000ドル)の倍以上で最高額だったと同時に、新人選手の契約金が100万ドルを超えた史上初のケースとなった。
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