Iモードダービー時代
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「遠藤理のボン・ディマンシュ」の記事における「Iモードダービー時代」の解説
FOMAダービーに近いルールとなる。 1999年12月12日はドコモショップつくばからの放送で14時台に1回きりの放送を行った。そしてポケベルに代わって2001年から通常放送でも登場した。 第1回では第1ラウンドの受付を開始した直後から圧倒的な数のメールが送られてきてしまい(実に100件以上のリクエストがあったという)、遠藤や中嶋はかなり困ってしまったそうだ(抽選からウィナーの曲がかかるまで実に15分以上も時間を費やした)。 そのため第2ラウンドからはオペレーター(のちの理’Sエンジェル。なお、結成当初はボンギャルという名前だった)が各端末を担当するようになり、受付時間を1分(2回目以降は現在と同じ30秒)としたが、この回ではいろいろあり3ラウンドまでだった。 第1回の第1ラウンドウィナーはゴスペラーズの「ひとり」であった。 2回目以降(4月8日は潮来市からのふるさと放送のためダービーは休止)からは第1ラウンドからオペレーターと中嶋が各端末を持つようになった。そして、この回からダービー中に限り電話リクエストの受付ができなくなった。 最終回が2002年4月21日なのは翌週28日が海浜公園からの生放送でダービーが休止だったためである。 なお、ダービー休止が数週に渡って続いた場合は再開した週にスペシャルを行った。
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