FBIの家宅捜査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 16:37 UTC 版)
クリーブランド高等学校(オハイオ州)を卒業。太平洋戦争が勃発したとき、ヤマダは19歳であった。1941年12月7日(日本時間8日未明)、教会の日曜学校で日本軍による真珠湾攻撃の知らせを受けた。同日午後、連邦捜査局(FBI)の捜査官が3人、家に来て、父の居場所を尋ねた。日本食レストラン「まねき」の川柳会に出ていると思ったので、「ここにはいない、リトル・トーキョーだ」と答えた。さらに2人の捜査官が来て、5人で絨毯を剥がし、額を外し、棚の食器類を取り出し、数時間かけて徹底的に家宅捜査した。遅れて帰ってきた母が驚いて、(当時はまだ英語が話せなかったために)日本語で説明を求めても、「日本語を話すな。英語を話せ」と怒鳴られるだけだった。 父はすでにシアトル移民帰化局に拘留されていた。スパイ容疑で逮捕され、フォート・ルイス(英語版)仮収容所へ送られた。フォート・ルイスはタコマ (ワシントン州) にあった軍事施設で、1942年から43年にかけて日系、ドイツ系、イタリア系アメリカ人の指導者が敵性外国人として収容され、この後、日系とイタリア系はフォート・ミズーラ抑留キャンプ、ドイツ系はフォート・リンカーン抑留キャンプ(英語版)へ送られた。だが、このとき家族はまだ何も知らされず、後にニューメキシコ州の司法省管轄下のキャンプ・ローズバーグ(英語版)から送られた父の手紙を受け取った。資産が凍結されたため、子供たちは退学して仕事を探した。
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