50年ぶりの早慶決戦とは? わかりやすく解説

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50年ぶりの早慶決戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/07 07:09 UTC 版)

早慶六連戦」の記事における「50年ぶりの早慶決戦」の解説

2010年秋季リーグ戦は、優勝争い最終戦早慶戦持ち越された。早稲田はこの試合に1勝でもすれば慶應勝ち点並んで勝率の関係で優勝決まり、また慶應連勝して勝ち点上げれば早慶同率となるため50年ぶりの早慶優勝決定戦持ち込むという大一番となった10月30日台風接近のため中止となり、第1試合10月31日行われ早稲田斎藤佑樹1回慶應渕上仁に先頭打者ホームラン打たれる。しかしその後再三ピンチをしのぎ好投する。しかし、6回に再び2点目を許しこの回で降板早稲田大石達也リリーフきっちり抑えるが、慶應竹内大助らが早稲田打線2-0完封先勝した。 11月1日早稲田優勝王手変わらずも、慶応勝てば同点決勝持ち込まれる注目2回戦初回から慶應打線猛打爆発早稲田福井優也初回から捉え初回先制点続き3回山崎錬が3ランホームラン。更に代わった大石から4回、投手福谷浩司の2ランホームランでダメを押す早稲田は2回に挙げた1点しか返すことができず、7-1圧勝勝ち点4・勝ち星も8勝4敗で並び優勝1日空けた11月3日、この組み合わせでは50年ぶり、東京六大学野球連盟としても1990年秋季リーグ戦立教大学対法政大学(立教4-1優勝以来となる優勝決定戦持ち越された。 11月3日早慶優勝決定戦(この試合回数無制限)は、内野席超満員観客東京六大学野球としては1990年春季早慶2回戦以来満員札止めとなった)、更に予定になかったテレビ放送急きょ組まれるNHK総合テレビジョン・スカイ・エー)ほどの注目が集まる中、神宮球場開始された。早稲田斎藤登板し、7回まで慶應打線ヒット許さない完璧な投球見せる。打線もこれに応え1回3点リード。更に5回-7回にも得点上げる。特に5回は斎藤自らがタイムリー2塁打放ちリード広げる貴重な追加点挙げる。しかし、8回裏慶應打線に初ヒットを許すと猛攻を受け7-5追い上げられるが、その後大石抑えて反撃止める。9回、早稲田3点挙げて10-5逃げ切り早稲田42回目(4季ぶり)の優勝となった。 この優勝によって出場得た第41回明治神宮野球大会では、決勝戦菅野智之擁する東海大学勝利し初優勝

※この「50年ぶりの早慶決戦」の解説は、「早慶六連戦」の解説の一部です。
「50年ぶりの早慶決戦」を含む「早慶六連戦」の記事については、「早慶六連戦」の概要を参照ください。

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