23歳で強化選手入り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 22:52 UTC 版)
宮崎県中央部に位置する西諸県郡野尻町で、 農林業を営む大迫家5人姉兄の末っ子として生まれる。柔道は、地元の紙屋中学校時代に始めた。中学時代は無名選手だったが、県立宮崎商業高校の藤井猪徳監督(当時)に誘われ、1976年に同校へ入学。高校時代は藤井の家に下宿しながら3年間を過ごし、高校3年次にはインターハイの団体戦でベスト8に入る。 1979年に天理大学へ進学すると、2年次よりレギュラーとして活躍し、この間に同大学は全日本学生優勝大会において、1980年3位、81年優勝、82年準優勝という好成績を収めている。1983年春、同大学を卒業。 大学卒業後は旭化成に籍を置き、23歳にして初めて強化選手入り。大会でも、得意技の背負投を武器に講道館杯や全日本実業選手権等で活躍し、徐々に頭角を現す。1985年には体重無差別の全日本選手権に初出場を果たすと、緒戦で中国地区代表の板本健三を破り、続く2回戦で当時199連勝中の山下泰裕と対戦。試合は敗れたものの、試合中に山下を背負落で宙に浮かせ、会場を沸かせた。
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