2006年クーデター
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詳細は「タイ軍事クーデター (2006年)」を参照 「2005-2006年タイの政治危機(英語版)」も参照 2006年1月、首相タクシン一族の不正蓄財疑惑が発端となり、国玉慶賀(在位60年)による「黄色のシャツ」を着た反タクシン運動が拡大すると、翌2月には民主市民連合(英: People's Alliance for Democracy、略称: PAD)が結成され、集会の規模は一時10万人余りとなった。タクシンは国会の解散と総選挙により一時首相の座を離れたが、再び暫定首相として復帰することに批判が高まり、一方、軍内でも反タクシン派が勢力を争い、事態が膠着するなか、タクシンが国際連合総会のためタイを離れていた9月19日に軍事クーデターが起こった。クーデターより12日後の10月1日には暫定憲法が公布され、陸軍総司令官であったスラユット・チュラーノン(在任2006-2008年)が首相に指名された。これ以降、タイではデモや暴動が相次ぎ、政治混乱が続くことになる。
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