2000年の総選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 16:24 UTC 版)
「アルベルト・フジモリ」の記事における「2000年の総選挙」の解説
1990年代後半、多くの腐敗事件が明るみにだされ、経済不況が戻ったことから、フジモリ大統領の支持率は低下した。にもかかわらず、正当解釈法に見られるようなフジモリの権力を手放さない姿勢は確固たるものとなっていた。1998年9月、フジモリストが多数議席を占めていた国会は、正当解釈法が無効であるという訴えを退けた。 2000年の総選挙(Elecciones generales de Perú de 2000)でフジモリは事実上の第三期目となる大統領選に立候補する。4月初めの投票ではフジモリ大統領候補も他の候補も過半数に届かず、5月に決選投票を行うこととなった。第1回目の投票で開票作業に不正操作があったことを、選挙の監視に来ていたOAS、ペルー国内の、行政外部監視機関(オンブスマン)や対立候補だったポシブレ党(Perú Posible)のリーダーのアレハンドロ・トレド陣営から指摘され、5月28日に予定されていた決選投票を延期し、その間に透明性のある開票方法をとるように要請が出された。フジモリ大統領は開票作業の透明性に問題はないとして、内外の要請を拒否した。予定通り5月末の選挙を強行するとしたので、OASは選挙監視の意味がなくなったとしてペルーを引き上げ、アレハンドロ・トレドも大統領に抗議する形で決選投票をボイコットすると発表した。実質的な大統領信任投票となった決選投票では、フジモリ大統領が過半数を獲得し、三選を果たした。
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