1973年5月から1974年5月にかけての噴火に伴う経過
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「西之島」の記事における「1973年5月から1974年5月にかけての噴火に伴う経過」の解説
1973年(昭和48年)5月30日、西之島の東南方600メートルで海底火山の噴火があり、9月11日に新しい島が出現した。12月21日には海上保安庁により「西之島新島」と命名された。この時点で新島の大きさは、東西550メートル、南北200 - 400メートル、面積0.121平方キロメートル、標高52メートルに達していた。その後も火孔の増加、噴石の堆積やマグマの流出により新島は成長を続け、翌年には西之島と陸続きとなり、北側が開いた「コ」の字形(馬蹄型)の地形の内側に湾を持つ島となった。 1973年(昭和48年) 4月12日 - 変色水が確認される。 5月30日 - 西之島の東南方600メートルで海底火山の噴火による白煙を観測。 6月27日 - 噴煙、噴石、水柱を観測。 9月11日 - 直径30 - 50メートルの新島を発見。 9月14日 - 西之島南端から東南東に600メートル地点に、直径120 - 150メートルの新島を確認。中央に直径約70メートルの円形噴火口、高さ北側で約40メートル、南側で約20メートル。 9月29日 - 新島主火口より溶岩流出。その西約40メートルに第2新島を発見。 10月9日 - 第2新島の西に3つ目の新島が確認される。 10月10日 - 第1 - 3新島が陸続きになる。 10月30日 - 第3新島のみを残し2つが消滅した。 11月20日 - 火口が東に約400メートル移動して噴火が続く。 12月21日 - 海上保安庁により「西之島新島」と命名される。 1974年(昭和49年) 3月2日 - 新島の東北方に第3、第4、第5火口ができ、第5火口によって新々島が形成され孫島とも呼ばれる。 3月14日 - 新々島が新島とつながった事を確認。東京水産大学等の調査隊が上陸、3月には東海大学の調査隊、東京大学、東京工業大学の調査隊がそれぞれ調査を行った。 5月 - 火山活動が終息する。火山活動終息時の溶岩堆積量は2400万立方メートル(=0.024立方キロメートル)。 6月10日 - 漂砂などにより新島と旧島が接続した事を確認。馬蹄形の形状となる。
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