1935年 - 1955年
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「アウトバーン 6」の記事における「1935年 - 1955年」の解説
現在のA 6の最も古い区間はフィルンハイムJCTからマンハイムJCTまでの区間で、ハンブルク-フランクフルト-バーゼル線(現在のA 7北半分とA 5に相当)の一部として1935年に開通された。その後フィルンハイムJCTより西の区間の建設が始まった。1940年12月にライン川をまたがる建設中の橋が崩壊した。この事故で工事作業員30人が殉職した。その後、第二次世界大戦の影響もあり、工事が停止された。当該の橋は1953年に完成された。 カイザースラウテルン付近の区間は1936年に開通された。これはラントシュトゥールからフランケンタールまでの区間において最も古い部分である。当該区間は1941年に全線開通された。第二次世界大戦においてラントシュトゥールとカイザースラウテルンの間の区間の一部はドイツ空軍の飛行場として再整備された。この飛行場は敗戦後米軍が利用することになり、現在のラムシュタイン米軍基地構内にある。そのため、アウトバーンは1950年代前半に新たな路線で再建された。1955年まではこのアウトバーンをフランスの保護領であったザールラントの国境付近まで建設した。 ハイルブロンとニュルンベルクを結ぶ区間は1935年から計画された。建設は1938年に始まったが、1941年から戦争のため停止された。工事の停止までシュヴァーバッハとニュルンベルクの間の部分だけ完成された。
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