1929/1930年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/24 02:21 UTC 版)
「ファーラップ」の記事における「1929/1930年」の解説
ファーラップは8月に復帰した。復帰後の3戦はいずれも着外であったが4戦目のワーウィックステークスで一流の古馬を相手に4着に健闘し、それを境にファーラップの競走成績は急激に上昇した。ファーラップは9月にローズヒルギニーを勝利して2勝目を挙げると、翌10月5日にはかつてデルフォードが勝利を宣言したオーストラリアンダービーをレコードタイムを記録して優勝、さらに11月にはヴィクトリアダービーもレコードタイムで優勝したのである。シドニー秋三冠のうち2冠と2つのダービーを制したことを受け、陣営はオーストラリアで最も人気の高いレースであるメルボルンカップへの出走を決めた。このレースでファーラップに課された斤量は47.2キロと軽く(メルボルンカップはハンデキャップ競走)、1番人気に支持されたが3着に敗れた。 1930年に入り2月のセントジョージステークスで3着に敗れた後、ファーラップは3月の始めから5月半ばにかけて9連勝を飾った。前年のメルボルンカップで敗れた際には同レースの距離が3200mであったことからスタミナが足りないと評する者もいたが3600mのAJCプレートではメルボルンカップ優勝馬のナイトマーチに10馬身の着差をつけて勝利を収め、評価を改めさせた。「赤毛の恐怖」という呼び名はこの時期につけられたものである。
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