高槻城・尼崎城・明石城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 16:24 UTC 版)
大坂冬の陣、大坂夏の陣で豊臣勢力を駆逐した徳川家康は一国一城令を布告し、畿内でも茨木城、三木城等多くの城が廃城となった。逆に西国を抑える目的で、東播から摂津の地域では拠点となる城を近代城郭へ整備している。 新城尼崎城 明石城 修築城高槻城 淀城 大坂城 これらの城は譜代大名が単独で実施した事業ではなく、公儀修築で全面的に城を築きなおしたと思われている。特に高槻城、尼崎城、明石城に関しては築城、修築時期が近く、城郭規模、工期など極めて似通っている点から同一人物による計画であった可能性が考えられている。 修築経過表城名城主普請奉行派遣時期普請時期作事時期高槻城土岐定義 元和3年(1617年)12月 元和3年(1617年)12月 - 翌年中頃 元和4年(1618年)中頃 - 翌年初頃 尼崎城戸田氏鉄 元和3年(1617年)10月 元和4年(1618年)1月 - 同年中頃 元和4年(1618年)中頃 - 翌年中頃 明石城小笠原忠真 元和4年(1618年)10月 元和5年(1619年)2月 - 翌年中頃 元和5年(1619年)中頃 - 翌年初頃 史料的に高槻城と藤堂高虎の関係を明示したものは無い。しかし、その後実施される大坂城は藤堂高虎が修築したので、これら3城も藤堂高虎の手によって修築計画が立案されたのではないかと考えられている。
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