駿河国分尼寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 14:47 UTC 版)
国分尼寺についても、創建時の位置は明らかでない。太田道灌作といわれる『慕景集』の嘉吉元年(1441年)記事に「国府尼寺菩樹院」と見えることから、後継寺院は静岡市葵区沓谷の正覚山菩提樹院(北緯34度59分37.89秒 東経138度24分48.94秒 / 北緯34.9938583度 東経138.4135944度 / 34.9938583; 138.4135944 (菩提樹院(国分尼寺後継寺院か、境内に伝国分寺塔心礎)))であるといわれるが、根拠に乏しく確証はない。菩提樹院寺伝では、武田氏の駿河侵攻において兵火を受けたため、天正年間(1573年-1592年)頃に駿府城西方に再興されたという。その位置は常磐公園付近にあたるが、昭和15年(1940年)の大火で焼失したことにより、さらに現在地に移転した。この菩提樹院境内には、前述のように国分寺のものと伝える心礎が残っている。
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