馮子振
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 17:29 UTC 版)
馮 子振(ふう ししん、1257年 - 1327年以後)は、中国・元時代の居士の俊英として知られた。字は海粟(かいぞく)、海粟道人・怪道人などと号した。攸州の人。官は集賢待制史となる。博学で詩文にすぐれ、その博識ぶりは、天下の書で彼が知らないものはないと言われた。よって当時、趙孟頫とともに文名を馳せたが、馮子振の書風は特異であったため、その書を記載する文献は少なく、書人としての名はなかったようである。 馮子振は禅学に心を寄せ、中峰明本や古林清茂と親交があったため、僧侶ではないがその書は無隠元晦・放牛光林(ほうぎゅう こうりん、1289年 - 1373年)・月林道皎ら入元の禅僧らによって日本にもたらされ、墨跡と同等に尊重された。無隠と放牛は馮子振と交友があり、その書は馮子振から直接、贈られたものである。 与無隠元晦詩 『与無隠元晦詩』(むいんげんまいにあたう し)は、馮子振が元朝に滞留中の無隠元晦に書き与えた偈。皇慶・延祐年間(1312年 - 1319年)の頃のものと推定されている。黄庭堅の書法をふまえた書風で、元代の日常筆記体の一端を垣間見ることができる。紙本、32.7cm×102.5cm。東京国立博物館蔵。国宝(指定名称は馮子振墨蹟(与無隠元晦詩))。
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