香港のメディア倫理に対する批評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 15:55 UTC 版)
「バスおじさん」の記事における「香港のメディア倫理に対する批評」の解説
「バスおじさん」にちらついていた社会的見識の欠如を否定する人がいたにも関わらず、一方的な狂乱が数々の扇情的な新聞、たとえば蘋果日報(アップル・デイリー)や東方日報などによって人工的に創り上げられた。部数増加と利益追従のためである。メディア論評家たちは、ニュースを報じるのではなく自ら作り上げるマスコミを責めたてた。香港中文大學のスクール・オブ・ジャーナリズム・アンド・コミュニケーション(新聞與傳播學院)ディレクターのクレメント・ソ・ヨーキー Clement So York- kee は、こう警告する。バスおじさんの話題を掘り下げる手法について「ニュース報道の伝統的なやり方を(踏まえて)いないようだ。」 例をあげると、マスコミのいくつかは バスおじさんの身元を暴露する者に報酬を提供していた。2006年の5月末に、あるジャーナリストと写真家のグループがチャンとホーの会合をお膳立てし、これに随行した。ホーの拒絶を食らった後、彼らはチャンを夕食とカラオケに連れて行き、このカラオケの模様が大々的に報じられることになった。多くの人はこれがわざと創り上げられたニュースで、一面トップを飾るにはふさわしくないと感じた。 タ・クン・パオ(大公報)紙は、社説で「バスおじさん」事件は香港のマスメディアの試金石となったと述べた。そこではインタビューのためにチャンの身元調査を行った件に触れている。彼は自分の生涯について多く尋常でない主張を続けていたが、マスコミはそれを何の検証もせずに掲載していたと記している。この社説では、ジャーナリストたちがニュースの捏造などしてはいけないと戒め、代わりに記事の確実性に主眼を置き、そのうえで事件を報じるべきか熟考するべきなのだと結論付けている。 他方では、この狂乱がメディアの共謀で作り上げられたのではなく、むしろ民衆の好奇心からくるものであり、また香港の消費者たち自身が形成するメディア需要の反映であるという意見もある。こういった状況は一方で、日常生活の潜在的なコメディ性に新たな光を当て、プライバシーへの懸念を放棄しても構わなくさせるという意味で、カメラ付き携帯を商う者たちの思う壺といえる。 (Wikipedia Englishからの翻訳を多く追加している en:The Bus Uncle)
※この「香港のメディア倫理に対する批評」の解説は、「バスおじさん」の解説の一部です。
「香港のメディア倫理に対する批評」を含む「バスおじさん」の記事については、「バスおじさん」の概要を参照ください。
- 香港のメディア倫理に対する批評のページへのリンク