養徳院
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養徳院(ようとくいん、永正12年(1515年) - 慶長13年10月26日 (旧暦)(1608年12月3日)[1])は、戦国時代(室町時代後期)・安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性、尼僧。池田恒利の妻、織田信秀の側室。実名は不明で、養徳院は院号、法名は桂昌。
- ^ a b c d e f 日本人名大辞典+Plus,世界大百科事典. “養徳院”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2021年8月27日閲覧。
- ^ 蔵知矩 1934, p.8
- ^ 漢字で書けば「大御乳様」だが、乳は「ち」と読み、「おお・お・ち・さま」。”御乳”は貴人の乳母の意味。目上にあたる織田信長、信雄、豊臣秀吉などの文書には「大御ち」とのみある。
- ^ a b c d e 岡田正人 1999, p.183
- ^ 父の政秀の素性は出身も含めはっきりしないが、養徳院の母の戒名、命日などの記録が残っており、その中では江州池田六郎何某室とされている『妙心寺盛岳院過去帳』に「茂岳慶繁大姉 江州池田六郎何某室 逝年不詳十月六日 養徳院殿母公」との記述がある。
- ^ 信長の異母妹、恒興の異父妹。織田信直正室
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