阿仁銅山とは? わかりやすく解説

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あに‐どうざん【阿仁銅山】

読み方:あにどうざん

秋田県北秋田市南部銅山古く金銀産出、のち銅山として栄えた昭和45年1970休山


阿仁鉱山

(阿仁銅山 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 18:07 UTC 版)

阿仁鉱山(あにこうざん)は、秋田県北秋田市にあった鉱山である。が採掘され、とくに銀鉱、銅鉱の産出が多く、1716年(享保元年)には産銅日本一となり、長崎輸出銅の主要部分を占めた。御用鉱山から久保田藩(秋田藩)の藩営となり、明治初年に官営鉱山となったのち、1885年(明治18年)に古河市兵衛に払い下げられた。閉山されたのは、1978年(昭和53年)のことであった。


注釈

  1. ^ なお、こののち角館城下町などを中心に18世紀末以降秋田蘭画が隆盛するが、これは平賀源内による洋風画の藩士への伝授に由来している。
  2. ^ 松方財政期の官営事業払い下げにおいては、三池炭坑が459万0,439円と破格の払い下げ価格であった。他は、長崎造船所が45万9,000円、兵庫造船所が18万8,029円、新町紡績所14万1,000円、院内銀山10万8,977円などとなっていた。

出典

  1. ^ a b c d e f 岩崎(2011)pp.30-33
  2. ^ 岩崎(2011)p.30。原出典は「秋山光春日記結要」所収『秋田郡阿仁銅山次第聞書』
  3. ^ 渡辺(2001)pp.226-227
  4. ^ 渡辺(2001)pp.237-241
  5. ^ 渡辺(2001)p.246
  6. ^ 岩崎(2011)pp.30-31。原出典は「鉱山至宝要録」(『日本科学古典全書 第10巻』(1944)所収)
  7. ^ a b c 渡辺(2001)p.243
  8. ^ 町史資料 加護山製錬所、二ツ井町編 p.363
  9. ^ 岩崎(2011)p.31。原出典は「秋田加護山鉱山及鉱業図」


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