防御と規律
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 14:42 UTC 版)
「ロングアイランドの戦い」の記事における「防御と規律」の解説
ワシントンは5月初旬に部隊をロングアイランドに動かし始めた。短期間のうちにロングアイランドには数千名の兵士が駐屯していた。ブルックリンの小集落の西にあるスターリング砦を支えるために、その東には3つの砦が建設中だった。この3つの砦はパットナム砦(ルーファス・パットナム将軍に因む)、グリーン砦(ナサニエル・グリーン将軍に因む)およびボックス砦(ダニエル・ボックス少佐に因む)と名付けられた。パットナム砦が一番北で、グリーン砦はそのやや南西、さらにボックス砦が一番南西側だった。当時デファイアンス砦も構築中であり、ボックス砦のさらに南西、今日のレッドフックに近かった。これらの新しい砦に加えて、ガバナーズ島には砲台が建設され、マンハッタン島の南端にあったジョージ砦には大砲が据えられ、イースト川沿いのホワイトホール・ドックにも大砲が置かれた。イースト川やその他水路にイギリス軍が入ってくることを防ぐために戦略的な要所には廃船が沈められた。 ワシントンは大陸会議から28,500名の兵士を徴兵することを認められていた。しかし、ニューヨークに到着したときはまだ19,000名に過ぎなかった。この軍隊にはほとんど規律というものが無く、単純な命令でも繰り返し伝える必要があった。兵士達は宿営地でそのマスケット銃を発砲してその火打ち石を台無しにし、銃剣をナイフの代わりに使って食物を切り、そのマスケット銃を掃除することも稀だった。ほとんどの兵士が他の植民地の者と出会うのもこれが初めての機会だったので、習慣の違いから諍いが起こることもあった。 砲兵が不足していたので、砲兵隊長のヘンリー・ノックスはワシントンを説得して、マスケット銃の足りない500ないし600名の兵士を砲兵に転換した。6月初旬、ノックスとグリーンはマンハッタン島の北端を査察して、そこにワシントン砦を構築することに決めた。もう一つ、コンスティチューション砦、後にリー砦と改名された砦をワシントン砦からハドソン川を挟んで対岸に構築する計画を作った。これらの砦の目的はイギリス軍艦船がハドソン川を遡るのを止めることだった。
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