長井道利(ながい みちとし) ????~1571
長井道利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/22 16:18 UTC 版)
長井 道利(ながい みちとし)は、戦国時代の武将。斎藤氏家臣。美濃国兼山城城主[2]。関城(安桜山城)城主[3]。隼人佐[2]、隼人正[4]。斎藤道三・義龍・龍興の斎藤家3代に仕えた重臣で、中濃、北濃方面を担った。
- ^ 『郡上市美並町乗性寺会向帳』
- ^ a b 寛政譜 1923, p. 828.
- ^ 関市教育委員会 1967, p. 246,付p=18.
- ^ a b c d e f g h 東京帝国大学 1938, p. 786.
- ^ a b 『信長公記』首巻
- ^ a b c d e 2015年 横山住雄『斎藤道三と義龍・龍興』p.170-175、p.187-p.192、p.220-p.225
- ^ a b c 2011年 横山住雄『武田信玄と快川和尚』p.28-p.36
- ^ (2011年 横山住雄『武田信玄と快川和尚』p.30)
- ^ 太田 1960, pp. 201–202.
- ^ a b c 太田 1960, p. 202.
- ^ 「関城主長居隼人佐郷戸八幡神社を再建す」『兼山町史』岐阜県可児郡兼山町、1972年、77-79頁。
- ^ a b c 「長井隼人佐と関,関城主長井隼人佐」『新修 関市史 通史編 自然・原始・古代・中世』関市、1996年、792-794, 839-840頁。
- ^ a b c d 寛政譜 1923, p. 829.
- ^ 東京帝国大学 1938, pp. 786–787.
- ^ 東京帝国大学 1938, p. 787.
- ^ 『寛永諸家系図伝』の井上氏の項
- ^ 横山住雄『斎藤道三』
- ^ 関市教育委員会 1967.
長井道利(ながい みちとし)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/31 05:25 UTC 版)
「戦國ストレイズ」の記事における「長井道利(ながい みちとし)」の解説
義龍の参謀。権謀術数に長ける策士。冷酷なまでの実利主義者だが、つかみどころが無い性格で、底が見えない人物。弘就や利三よりも格上の存在で、義龍とも単なる主従関係ではない。無断で密偵を動かしたり、義龍の命令をより過激な内容に変更するなど、逆らわないながらもやや含むところがある「喰えない男」。
※この「長井道利(ながい みちとし)」の解説は、「戦國ストレイズ」の解説の一部です。
「長井道利(ながい みちとし)」を含む「戦國ストレイズ」の記事については、「戦國ストレイズ」の概要を参照ください。
長井道利(ながい みちとし)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 18:26 UTC 版)
「センゴク兄弟」の記事における「長井道利(ながい みちとし)」の解説
※この「長井道利(ながい みちとし)」の解説は、「センゴク兄弟」の解説の一部です。
「長井道利(ながい みちとし)」を含む「センゴク兄弟」の記事については、「センゴク兄弟」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 長井道利のページへのリンク