長いヨーロッパ生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/16 05:20 UTC 版)
「エリザベス・モンロー」の記事における「長いヨーロッパ生活」の解説
夫のモンローがジョージ・ワシントン初代アメリカ合衆国大統領によって1794年に在仏全権公使に任命されると、エリザベスもフランスへ向かう夫に同行した。当時のフランスは恐怖政治の真っ只中にあり、かつてアメリカ独立戦争を助けてくれたジルベール・デュ・モティエ・ド・ラファイエット侯爵の夫人のアドリアンヌ・ド・ラファイエット(英語版)もパリ市内の刑務所に投獄されており、いつギロチンで処刑されてもおかしくない状況にあった。そこでエリザベスは思い切った行動に出た。派手に馬車を仕立てて、野次馬の群れに取り巻かれつつ刑務所内のアドリアンヌ夫人を訪問し、群衆の目の前で感動的な抱擁を演じ、人々の同情をひいて喝采を博したのである。この後にエリザベスは公安委員会から、アドリアンヌ夫人の釈放を取りつけた。この出来事以降、エリザベスはフランスで非常に人気がある女性となり、「アメリカの美しい人」と愛着を込めて呼ばれるようになった。 その後、在仏全権公使を解任されたモンローは、1799年から1803年までバージニア州知事を務めた。エリザベス夫人はこのバージニアで暮らしていた時期から体調不良が目立つようになった。1803年から1807年まではモンロー一家はヨーロッパに戻ってパリやロンドンで暮らし、夫妻は1804年12月2日のナポレオン・ボナパルトの戴冠式にも招待されている。 1811年にモンローがジェームズ・マディソン大統領から国務長官に任命されると、一家はワシントンD.C.に移り住んだ。
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