金王朝の首都として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:25 UTC 版)
燕雲十六州の新たな主人となった金王朝は、第四代海陵王の時代にこの地に遷都し、1151年、中都と名を変えた。このことにより、中都は一躍華北地域の中心都市となり、ここから、中国王朝のすべての王朝は、短い期間を除いて全てここ北京を都とするまでの発展を遂げた。また、政治のほかに文化・経済の中心地と成った中都は当時としては異例の約50万人を有する大都市となった[注釈 3]。 このころの遺構には、後に盧溝橋事件が起こることとなった盧溝橋等を挙げることができる。
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