金岡祐一とは? わかりやすく解説

金岡祐一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/02 10:09 UTC 版)

金岡 祐一(かなおか ゆういち、1928年(昭和3年)2月25日 -2021年(令和3年)5月24日 )は、日本の薬学者実業家学校法人富山国際学園理事長北海道大学名誉教授。テイカ製薬代表取締役会長。

来歴・人物

3代目金岡又左衛門(元富山相互銀行社長)の長男として、富山県上新川郡新庄町(現・富山市)で生まれる。

旧制富山高等学校から東京大学薬学科に進学する。富山高校時代の同級生には、中沖豊富山県知事らがいた。また、薬学科3年次から大学院時代は、姉と結婚していた金岡幸二宅に同居し世話を受けた。

文部省国立大学薬学科を増設する方針に踏み切ったため、父の反対を押切り、恩師の推薦を得て、未知の大地であった北海道に渡り、新設となった北海道大学医学部薬学科に赴任する。

同大学は旧帝国大学であるため、それなりの環境下にあるものとして赴任するも、その研究環境はソフト、ハードとも惨憺たるもので、悪戦苦闘する日々が続いた。

1959年3月、薬学博士(東京大学)、学位論文の名は「ロビンソン脱水素反応による含窒素縮合環化合物の合成」[1]

そのような中、1959年(昭和34年)から1961年(昭和36年)にかけては、アメリカ国立健康研究所において留学生活を送り、帰国後は、共同研究により生体内の重要基である「チオール」や、神経伝達機構の解明などに取り組んだ。

その後、薬学部長等を歴任し帰郷。父が創設した富山女子短期大学教授に就任。

1993年(平成5年)、義兄・金岡幸二の急死に伴い、それまで家長として幸二が担っていた第一薬品、テイカ製薬富山国際学園の経営に携わることとなった。

現在は、第一薬品のテイカ製薬との合併、富山国際大学の学部再編等に取り組んでいる。

実弟に富山第一銀行代表取締役会長を務める金岡純二がいる。

2021年(令和3年)5月24日死去[2]。93歳没。死没日をもって正四位に叙される[3]

略歴

栄典

著書

  • 『生殖医療と生命倫理 - 不妊の悩み、科学者たちの提言』(共著)日本学術研究財団(1999年)
  • 『メディシナルケミストリー』(共著)講談社(1998年)

外部リンク

参考文献

  • 『越中人の系譜 わが半生の記』 北日本新聞編集局(2007年)

脚注

  1. ^ 博士論部書誌データベース
  2. ^ 金岡祐一氏が死去 富山国際学園名誉理事長でテイカ製薬取締役相談役 93歳 - 北日本新聞ウェブ 2021年6月1日
  3. ^ 『官報』第526号8頁 令和3年7月2日号
  4. ^ 春の叙勲、北島三郎さんら4024人 北海道内は232人 北海道新聞 2016年4月29日
  5. ^ 平成28年春の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 6 (2016年4月29日). 2023年3月2日閲覧。




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