郎官石柱記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 07:35 UTC 版)
『郎官石柱記』(ろうかんせきちゅうき、『郎官石記』とも)は開元29年(741年)、張旭の書・陳九言の撰文による。郎官に任ぜられた者の名を六角の石柱に刻したのでこの名がある。原石は北宋時代に存在していたようであるが、その後なくなり、原石拓は宋代のものがただ一本伝わるのみである。一時、明の王世懋がそれを所蔵し、その模本が『戯鴻堂帖』に刻入された。張旭は狂草の祖といわれるが、この書は唯一の楷書として貴重な資料であり、かつ宋代以後の人々から高く評価されている。
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