遼河平原の作戦とは? わかりやすく解説

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遼河平原の作戦(遼東半島全域の占領)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:03 UTC 版)

日清戦争」の記事における「遼河平原の作戦(遼東半島全域占領)」の解説

2度目海城防衛戦終わった1月下旬から、第一軍司令部大本営の間で、新作戦を巡る駆引き生じた前者は、遼陽営口付近の清軍掃討求めており、後者は、その作戦直隷決戦妨げかねない、と拒否していた。最終的に両者譲歩により、掃討作戦範囲縮小して3月上旬作戦完了することが決まった3月2日第五師団は、前衛鞍山站に進出したものの、すでに清軍が撤退しており、撃破できなかった。三方包囲されていた海城第三師団は、2月28日死傷者124人を出しながら主力部隊北方進撃し3月2日鞍山站に進出した4日合流した第三第五師団牛荘攻撃し退路断たれた清軍と市街戦になったものの、翌日午前1時頃までに掃討戦終わった2月21日太平山戦闘第一師団第二軍)がダメージ負っていた(戦死29人、負傷285人、凍傷4,188人)。3月4日、再び清軍が動いたものの、第一師団反撃後退した6日第一師団は、追撃戦移り、翌7日抵抗をほとんど受けることなく営口占領した西洋列強領事館外国人居留地があるため、両軍とも市街戦消極的)。9日日清戦争最大三箇師団参加し遼河対岸渡河地点田荘台を攻撃した(清軍2万人、砲40門)。一時間ほどの砲撃戦戦況帰趨(きすう)が決まり田荘台の攻略成功した。しかし、攻略直後第一軍司令部は、全軍撤退と清軍の反攻拠点ならないよう「田荘台焼夷」とを命じ全市街を焼き払わせた。 なお作戦完了により、第五師団後備諸隊西から営口牛荘鞍山站、鳳凰城、九連城までの広大な地域守備にあたり残りの六箇師団臨時第七師団屯田兵団の再編)で直隷決戦準備始まった3月16日参謀総長小松宮彰仁親王陸軍大将が征清大総督任じられ26日第二軍司令部大本営新作命令受領したその後山海関東方洋河口への上準備のため、近衛師団第四師団広島から遼東半島移動した後記通り当時下関講和交渉が行われており、直隷決戦具体準備は、日本側の大きな切り札であった)。

※この「遼河平原の作戦(遼東半島全域の占領)」の解説は、「日清戦争」の解説の一部です。
「遼河平原の作戦(遼東半島全域の占領)」を含む「日清戦争」の記事については、「日清戦争」の概要を参照ください。

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