近世までの蓮池
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 06:13 UTC 版)
古代の蓮池は有明海に面する海岸だったと考えられている。町の東部、城原川を跨って分布する柴尾橋下流遺跡(蓮池町古賀字四本松、神埼市千代田町用作字五本松)では、最深部で後期様式の弥生式土器が見つかっており、以降の時代のいくつかの層にも住居跡が検出されている。 平安時代に平氏が台頭すると、蓮池にある蒲田津という港は貿易船が出入りする地となった。この時代に当地を治めた平家家臣の蓮池氏の一族が四国の土佐国に移り、蓮池城(土佐市)を築いたとされている。まもなく平氏が滅亡したあとも、平氏の残党がここに移り住んだとも伝えられている。 中世には、九州北部を中心に版図を広げた少弐氏の影響下に入り、これに臣従する犬塚氏と小田氏が城を築いた。このうち小田氏が蓮池に築いた「小田城」が、後の蓮池城である。戦国時代になると少弐氏、大内氏、大友氏などの勢力争いに巻き込まれ、やがてその争いの中から台頭した龍造寺氏が犬塚氏と小田氏を破って蓮池一帯を制した。戦国時代後期には龍造寺氏の家臣だった鍋島氏が主家をしのぐようになり、蓮池城は鍋島氏の居城となって江戸時代を迎えた。
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