近世の上伊敷村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:17 UTC 版)
「伊敷 (鹿児島市)」の記事における「近世の上伊敷村」の解説
江戸時代の上伊敷村は薩摩国鹿児島郡鹿児島近在のうちであった。鹿児島近在のうちでは「遠名」に区分された。村高は「天保郷帳」では1,886石余、「郡村高辻帳」では1,886石余、「三州御治世要覧」では1,893石余、「旧高旧領取調帳」では1,820石余であった。村内の仮屋には藩の役所が置かれた。明和年間に上伊敷村において検地・門割が行われた。 甲突川には文化年間に切石を積み上げた、石堰(石井手用水)が作られ、草牟田村(現在の草牟田)から荒田村(現在の上荒田町)に至る区域の灌漑用水として使用された。
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