とよくに‐びょう〔‐ベウ〕【豊国廟】
とよくにびょう 【豊国廟】
豊国廟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 10:26 UTC 版)
豊国廟(正式名称:とよくにびょう、通称:ほうこくびょう[2])は、京都市東山区今熊野北日吉町にある豊国神社の飛地境内(境外地)で、豊臣秀吉の廟所。阿弥陀ヶ峰の山頂、麓から563段[3][注 1]の石段を登ったところに石造五輪塔が建てられている。
注釈
出典
- ^ 京都市観光協会 京都観光Navi 豊国廟
- ^ “豊国廟 概要”. 地域観光資源の多言語解説文データベース. 観光庁 (2019年). 2024年1月30日閲覧。
- ^ 史料京都の歴史 1987, p. 465.
- ^ “実は愛知、静岡ではない…NHK大河『どうする家康』で漁夫の利を得る家康、信長、秀吉の墓がある都市”. PRESIDENT Online. プレジデント社 (2023年1月15日). 2024年1月30日閲覧。
- ^ 竹村 1980, p. 131.
- ^ a b 豊国会趣意書 1897, p. 〇二.
- ^ a b 史料京都の歴史 1987, pp. 431–432.
- ^ a b 史料京都の歴史 1987, p. 432.
- ^ 豊国会趣意書 1897, p. 〇一.
- ^ 豊国会趣意書 1897, p. 〇八.
- ^ a b 史料京都の歴史 1987, pp. 463–464.
- ^ 史料京都の歴史 1987, pp. 464–466.
- ^ 京都府史蹟勝地調査会報告 1983, p. 26.
- ^ 豊太閤三百年祭記念碑、フィールド・ミュージアム京都 京都のいしぶみデータベース
- ^ 湯本文彦「豊太閤改葬始末」『史学雑誌』第17編第1号、史学会、1909年。
- ^ a b 杉田棄三郎「阿彌陀峯の墳墓及び豊國廟の荒廢」『日本史蹟集覧』、敬文館、1915年10月31日、304-306頁、doi:10.11501/950923。
- ^ 漏世公子及寿芳夫人遷墓碑、フィールド・ミュージアム京都 京都のいしぶみデータベース
- ^ a b 豊国会趣意書 1897, p. 一三-一五.
- ^ 豊国廟参道【道標】、フィールド・ミュージアム京都 京都のいしぶみデータベース
- ^ 史料京都の歴史 1987, pp. 465–466.
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