議奏人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 05:34 UTC 版)
四侯会議序盤の議題は朝廷の人事で、当時欠員となっていた議奏の補充を巡り、親幕府派の二条摂政と久光との間に激論が交わされた。久光は以前から懇意の大原重徳、中御門経之を推したが、二条摂政は何かにつけて「先帝の叡慮(孝明天皇は尊王攘夷派の過激公卿を嫌っていた)」を持ち出して難色を示したため、久光が「それならば先帝の叡慮に従い、慶喜が要求する兵庫開港も断然拒否なさるか」と詰め寄り、二条が「暴論なるべし」と激怒し、久光も「暴論とはいかなる趣意か」と応ずる緊迫した場面となった。結局、議奏人事は押し切られ長谷信篤、正親町三条実愛が任じられることになった。
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