調伊企儺
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調 伊企儺(つき の いきな、生年不詳 - 欽明天皇23年(562年)7月)は、日本の6世紀中頃の武将。姓は吉士(きし)で調吉士伊企儺(つきのきしいきな)と称する。大葉子の夫[1][2]。
- ^ a b c “調伊企儺 つきのいきな”, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典, Britannica Japan, (2014)
- ^ a b c d e 菊地照夫, “調伊企儺 つきのいきな”, 日本大百科全書(ニッポニカ), 小学館
- ^ 渡部裕明「【夫婦の日本史 第100回】「ヤマトの誇り」に殉じた夫婦(2/3ページ)」『産経ニュース』、2015年3月11日。2020年12月24日閲覧。オリジナルの2020-12-26時点におけるアーカイブ。
- ^ “つきのいきな【調伊企儺】”, 大辞林 (3 ed.), 三省堂, (2006-10)
- ^ a b “大葉子 おおばこ”, デジタル版 日本人名大辞典+Plus, 講談社, (2015-9)
- ^ “【しり(尻∥臀)】”, 世界大百科事典 (2 ed.), 日立ソリューションズ・クリエイト, (1998-10)
- ^ 小林茂文 (1994-11), “大葉子”, 朝日日本歴史人物事典, 朝日新聞社
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