複雑な生い立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 08:00 UTC 版)
和歌山県新宮市で父、鈴木留造(とめぞう)と母、木下ちさと(千里)との間に私生児として生まれた。ちさとは、健次を妊娠中に、ある女性から、留造には他に女が二人いてそのうちの一人は妊娠しているという事実を知らされる。ちさとは留造と別れて一人で健次を産んだ。留造はこの女性と結婚し、この女性は健次の異母弟を産む。留造はこの女性との間にさらに二児をもうけた。 ちさとには死別した前夫の木下勝太郎との間に既に四人の子供がおり、留造と別れたあとは女手一つで行商をしながら子供たちを育てる。1953年、ちさとは、後に健次の義兄となる男児と二人で暮らす中上(なかうえ)七郎と出会い、まだ7歳と幼かった末子の健次だけを連れて同居、四人での生活をはじめた。七郎はこの頃は日雇いの土木作業員であったが、のちに土建請負業者になる。 1953年、新宮市立千穂小学校に入学する。1959年、小学六年生の終わり頃、12歳年上の異父兄・木下行平(いくへい)が24歳で、アルコール中毒の果てに縊死するという事件が起こる。行平は、ちさとと健次が中上七郎と暮らすために引っ越した後、もとの家に一人残され、鶏を飼いながら孤独に暮らしていた。見捨てられたと感じていた行平は、酒に酔っては斧を手にして、健次たちの家に何度もどなり込んできたという。行平の自殺は健次の大きなトラウマとなった。 1962年、中学校卒業の直前、ちさとと健次は、七郎のもとに入籍する。同年、和歌山県立新宮高等学校に入学する。マルキ・ド・サド、ルイ=フェルディナン・セリーヌ、ジャン・ジュネなどを読む。また、当時新進作家だった大江健三郎や石原慎太郎などの日本人作家の作品も読んでいる。
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