藤村義朗
藤村義朗(海兵55期・海大37期首席)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 14:37 UTC 版)
「駐在武官」の記事における「藤村義朗(海兵55期・海大37期首席)」の解説
1940年(昭和15年)10月~駐ベルリン大使館付武官補佐官(少佐→中佐)。後にフィンランドやフランスの武官補佐官も兼務。1945年4月にスイス公使館付海軍顧問輔佐官となる(日本海軍はスイスには武官を駐在させておらず、藤村が戦後に「スイス公使館付駐在武官」と自身について記しているのは正しい記述ではない)。これ以降、ドイツ人フリードリヒ・ハックを介してアメリカのアレン・ウェルシュ・ダレスを通じた対米和平・終戦工作に奔走するも失敗。『アナザー・ウェイ ―D機関情報―』の関谷中佐のモデル。戦後は商社「ジュピターコーポレーション」を興し社長。
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